普段はパラパラと立ち読みですが、今月号は買ってしまいました。

 

購入目的は、「UFOディレクター矢追純一」です。ムー創刊45周年記念企画「レジェンドの肖像」シリーズ第2回。サブタイトルは「ユリ・ゲラー来日からネッシー探索、そしてMJ-12事件まで!!」。

 

 

2色刷りながら15ページにも及ぶ特集でした。真新しい内容はありませんでしたが、矢追さんの生き方を思い出すのにはちょうど良い感じの記事になっていました。

 

矢追作品については、ビデオテープで保存していたものもありましたが、いまどきはYouTubeでも観られることを知り、ある時、一挙に破棄してしまいました。僕だけの財産にしていてもしょうがない、という思いからです。もはや矢追作品は世界の遺産級ですので。

 

そのYouTubeにアップされた、矢追作品に対するコメントで目を引くのは、「昔は信じていた」とか「あの頃はロマンがあった」「今では流せない番組」などという言葉。

 

次元が低すぎて笑ってしまいます。

 

そういうコメントをつける方々に対して、私は逆にお尋ねしたいのですが、ではあなたは、昔は「信じていた」のですか?

 

一連のMJ-12リーク関係の話からスタートした、矢追さんが日テレを退職してからの「平成UFO現地取材特報」シリーズ。あの2時間番組を「ノンフィクション」の類の映像として、徹頭徹尾、「信じていた」のでしょうか。

 

「信じていた」のに「裏切られた」…式のコメントには閉口させられます。

 

というのも、私はあの番組に対して、「信じる」「信じない」の域を超越して、心から(もう本当に全身全霊で)「愉しんで」いたからです。

 

 

「真実」かもしれないし、「真実ではない」かもしれない。

 

それは最早、どうでも良いのでした。とにかくあの番組を、僕(と僕の妹)は、本当に楽しみにして視聴し、録画して、何度も何度も観たのです。

 

テレビ局の美術さんが造形したアダムスキー型UFOの模型が、合成映像で番組冒頭からビュンビュン飛び、「グレイ」タイプの宇宙人がゾッとした目でブラウン管の向こう側から視聴者を覗き込みます。

 

 

…そんなイメージ映像をも、「本物」だと信じていたというのでしょうか。まさかね。こんなの、「愉しまず」してどうしろというのでしょうかね。

 

矢追純一は、レジェンドです。映像製作者してのレジェンドです。ワクワク・ドキドキの新しい映像美をお茶の間にもたらしました。本当に素晴らしい独創性と発想力です。「ムー」の記事にもありましたが、予定調和ではない突撃取材の精神性も見逃せません。

 

矢追純一の生き方は、私のかなりの部分に影響を与えています。自分が30代から40代の頃は、あまり気づいていませんでしたが、第2の人生まであといくばくか…という場所まで来てみて、改めて自覚できるようになりました。

 

昔、原宿でお会いし、一緒にお酒を飲ませていただいてから既に25年が経ってしまいました。もう一度、矢追さんにお会いしてみたいなと、いま、思っております。