カルチャー・クラブ/

カラー・バイ・ナンバーズ

(1983,ヴァージン)

 

 

Technics SL-M1の発売は、昭和58年(1983年)だそうである。当機を新品で入手した当時の人々は、いったいどのような新譜を載せて聴いていたのであろうか。

 

 

僕にとって昭和61年(1986年)が「17歳」で特別な年であったように、昭和58年(1983年)は「中2(病)」でこれまた特有の年だったように思う。

 

 

中1までは日本の歌謡曲(例えばコーセー「歌謡ベストテン」や「ニューヒット歌謡情報」)だけを聴いて満足していたのが、洋楽(例えばダイヤトーン「ポップス・ベストテン」)にまで関心の幅を広げるようになったのが、まさにこの頃だった。

 

その時期、日本中が洋楽ブームだったような気がずっとしていたが、実はさにあらずで、僕たちがただ、そのような世代(=「外界」に著しい関心を抱く世代)にいただけ…とも考えられる。

 

(ちなみに、その頃に洋楽にハマり、英語の教員になった友人・知人が多数いる。僕は残念ながら楽器の方に奔ったのであるが…。)

 

前置きが長くなったが、カルチャー・クラブである。このバンドの良さを、少なくとも中2の頃の僕にはよく理解できなかった。みんなと一緒に「カーマカマカマカマカマカメーレーオン…」と学校で合唱してはオネエごっことばかり、同じクラスにいた色白の優しい男子に向かってお道化てはいたのだけれども…。(いまなら不適切な案件)

 

とにかく《カーマは気まぐれ》は、売れた。久しぶりにちゃんと(YouTubeではなく)聴きたいと思い、中古屋で購入。全米で1位になったアルバムだから、日本でも売れに売れたんだろう。いま、どこに行っても入手でき、しかも廉価だ。盤質によってはお買い得コーナーで「90円」である。

 

アルバムとして完成度が非常に高い。《カーマ…》を含めてどの曲も素晴らしいが、特にB面に行ってからの《ミス・ミー・ブラインド》《ストームキーパー》《いつもふたりで》と、美しい旋律の楽曲が続く。

 

英国バンドは、日本人の琴線にふれる何かを、みな有しているように感じる。波長が合うというか、端的に言って「ぜんぜんOK」、このような哀愁を含んだメロディーだったら、デイリーで聴き続けられる、と僕は思ってしまう。

 

明日のリスニングは、カジャ・グー・グーか、デュラン・デュランか、ユーリズミックスか。

 

で、僕は二つのことを悟った。(いまさら)

 

(1)

僕は(ポピュラー音楽では)USよりもUKの方が好き。

 

(2)

1980年代の日本のポップス業界(バンドなど)は、みな洋楽のコピー…じゃなくて真似。

 

「真似」(まねび)は「学び」(まなび)に通ずるから、決して悪いことじゃないけれど。J-POPは独自の進化を遂げているし。

 

結局は好みの問題なのだが、僕の周りにいる人を観察すると、アメリカン・ロックが好きな人はヘヴィメタを聴かない。ヘヴィメタの人はアメリカのカントリーっぽい響きを帯びたロックをあまり好まない。

 

僕はどうか。

 

完全にHR/HMの人、である。そして、HR/HMとクラシック音楽は(なぜか)親和性があり、相性も良い。

 

だから、これからもシャルル・デュトワとリッチー・ブラックモアを聴き続ける。