バルトーク:管弦楽のための協奏曲

コダーイ:ガランタ舞曲

 

小沢征爾 指揮

シカゴ交響楽団

(1969年,セラフィム)

 

 

 

昨日聴いたワイセンベルクのレコードと同じシリーズ(セラフィム)のレコードを、別のお店で偶然ゲット。

 

バルトークの「オケコン」は、僕みたいな吹奏楽の打楽器からこの世界(どの世界?)に入った人間から見ると、ほぼ例外なく若い時から大好物だった音楽である。

 

第2楽章〈一対の遊び〉は、スネアドラムのソロから入るし、ティンパニも活躍する。しかも、そのスネア(Side Drum)は、スナッピーをオフにした状態(without snares)でカンカンいわせて、リズムも実にマニア好み、いや、演奏し甲斐のあるフレーズとなっている。

 

 

メゾ・フォルテっていうのが(ありがちだけど)絶妙だよね。

 

さて、この小沢征爾(小澤征爾)とシカゴ交響楽団による録音は1969年と書いてあるから、奇しくも私の誕生年だ。

 

54年前である。

 

その(私が生まれた)1969年から見た54年前といえば、1915年(大正4年)になってしまう。

 

うひゃー。

 

夏目漱石が亡くなる1年前、『道草』発表の年。そして、森鷗外が『山椒大夫』、芥川龍之介が『羅生門』を発表した年である。

 

まだ無名の佐藤春夫が、我が故郷(神奈川県都筑郡中里村字鉄=現在の横浜市青葉区鉄町)に移り住んで、名作『田園の憂鬱』の構想をあたためていた頃でもある。

 

時代感覚が、おかしくなりそう。

 

そういえば、この間、授業で面白いことがあった。「江戸時代は意外と最近なんだよ」と言ったら、生徒がヘンな顔をする。だから次のように説明してみた。「江戸時代は私(mrajinsky)が生まれたおよそ100年前までで、私が今54歳だから、私の年齢のたった3倍、いまから遡れば江戸時代なんだよ」と。

 

それでも「ぽかーん」とはしていたけれど、少しは分かってくれたようである。生徒からしたら、江戸時代は「300年ぐらい昔」の感覚だったのだと思う。

 

閑話休題。

 

レコード…に限らず記録媒体というものは、実に素晴らしい発明だったと思うのである。

 

評論家・上野晃氏によるライナーノーツがジャケット裏に載っているが、その文言が興味深い。当時の小沢征爾への期待のほどがうかがえる。

 

以下引用。

小沢の指揮は、オーケストラの細部まで鮮明に音をとり出し、各パートの分離とそのコントラストをくっきりと浮かびあがらせる。だがこれは、たとえばピエール・ブーレーズのそれのように、知的分解能からではなく、おもに感覚的に繊細な耳の要求から生じたものであることを、聴き手の快楽の中に訴えてくる。(上野晃氏の文章から)

 

尊敬すべき表現であることは、実際にレコードに針を落としてみてよく分かった。まさに、おっしゃるとおり、録音の良さと相まって、制作者側の意図が存分に堪能できるレコードとなっている。敢えて「制作者側」と書いたのは、新人指揮者であった当時の小澤征爾に、パッケージとしての音楽アルバムのコンセプトに関する主導権が与えられていたのかが、実際のところよく分からないからである。

 

村上春樹との対談本などを読むと、意外にも演奏の細部について指揮者(小澤)の裁量が多かったような話を聴くことができるのであるが…。