ブラームス:

交響曲第3番ヘ長調作品90

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1964,グラモフォン)

 

 

最近、テレビはあまり見なくなったものの、たまにチャンネルをパッパと飛ばしていて、気になる絵があると釣られて見てしまうことがある。

 

先日は、ハロプロの鈴木愛理にやられてしまった。

 

 

NHK教育の「クラシックTV」に葉加瀬太郎が出ていて、僕は葉加瀬太郎のことを好きでも嫌いでもなく、正直あまり興味を抱けない芸能人の一人という認識だったのであるが、当番組内で葉加瀬氏がブラームスについて熱く語っているのを観て、その内容に激しく共感し、途端に葉加瀬ファンになってしまった(現金なものだ)。

 

葉加瀬氏、宣はく、「ブラームスは、交響曲を厳格なセオリー(理)に則って創造しているのだが、時にその自制が利かなくなって、思わず内なるロマンチシズムがあふれ出ちゃう楽想がある。例えば、交響曲第3番の第3楽章…」と。

 

これこれ。

 

たぶん、僕がブラームスを好きなのも、この理由にあるんだろうと思った。もやもやがすっきりした。

 

そして、鈴木愛理ちゃんもブラームスが好きだという。ほほう、なかなか良い娘ではないか。

 

今朝は、カラヤンの1960年代のブラームス全集から、上述の第3番を聴いている。先日は、1970年代のショルティだったが、今日はカラヤン。

 

 

僕はカラヤンの3つのブラームス全集(①1960年代、②1970年代、③1980年代)は、全部所有しているが、一番よく聞いているのは、1980年代のデジタル録音。音が塊のように聴者に近くて、まるで指揮者カラヤンの位置に居てオーケストラを聴いているような臨場感を感じる録音だからだ。

 

1960年代の全集の録音は、音に広がりがあって柔らかい。塊という感じではなく、すべての楽器が融け合っているような音楽だ。これは良い。イエス・キリスト教会での録音が奏功しているのだろうか。エンジニアには、カラヤン盤不動のギュンター・ヘルマンスがクレジットされている。

 

解説文は門馬直美。発売当時の文章と思われるが、カラヤンがベルリン・フィルを手中に収めた頃の評価について語られているのが興味深い。しかし、どこかで読んだことのある文章にも思える。いや、これはたぶん逆で、門馬直美の文章が様々な形で援用されて、現在まで伝わっているだけの可能性がある。

 

「カラヤンはベルリン・フィルの北ドイツ的なローカルな音色を、インターナショナルな音楽に昇華させた」とかなんとか。

 

いずれにしても格調高く、読んでいて感動が何度か襲ってくる文章である。当時の全集のボックスって、価値がとても高い。

 

 

1960年代のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏ももっと聴いてみたいと思った。