モーツァルト:

レクイエム ニ短調 K.626

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 

(1986,グラモフォン)

 

 

レコード店に行って見つけると必ず買ってきてしまうのが、カラヤンとベルリン・フィル、またはウィーン・フィルのレコード。

 

先日は、カラヤンの最晩年の録音である《レクイエム》を見つけた。デジタル音源でも所有している演奏なのだけれど、同じ音源をレコードで聴くと、どう違うのか。

 

僕のレコード再生システムは、いわゆるエントリー・クラスである。

 

国産D.D.のフルオート・プレーヤーに、付属のMMカートリッジ。アンプもMMにしか対応していない廉価アンプである。

 

だからこそ…なのか、デジタル音源との差異が顕著となって面白い。ここでの結論もレコードに軍配が上がる。

 

まともに音楽が鳴っているなあ…と思えるのは、いつでもアナログ。1980年代のカラヤンのデジタル録音は、高音が突っ張っていて、CDで聴くと(CDプレーヤーやDACが相当なハイエンド機器でない限り)耳に刺激的に聞こえる。

 

その点、僕のチープ・オーディオは、音の刺々しさをうまく「丸めて」くれるようだ。

 

余談だが、カラヤンの中古レコードは安い。商品が出回りすぎているからだろう。それに、「カラヤン?」(笑)…などと、ポピュラーになりすぎた音楽を「低俗」と見做したり、馬鹿にしたりする人々から敬遠されているという事情もあると思う。

 

それはとんでもない誤解であるが、「本物が分かる僕」にはまったく困らず、いや、かえって助かる現象なのである。世界最高の機能を持ったベルリン・フィルの高次元の演奏が、300円で手に入るのだから…。

 

一昨日、この春で退職される先輩にジャズ・バーに連れていっていただいた。桜木町に早く着いて、まずは野毛の庶民的な「焼き鳥」屋さんで乾杯。どれも最高に美味だった。

 

野毛には、ガイド本だか何だかに紹介された観光客向けの店も多く、週末だったので長い行列も見られたのだけれど、当然、先輩は一瞥だにせずに次の店に向かう。

 

ジャズのお店で音楽を聴きながら、先輩は次のようなことをおっしゃった。

 

「やっぱり良いものは良い。学生の時、ジャズ研の先輩に『ナベサダなんて聴いてんの?(笑)』みたいに揶揄われたけど、良いものは良いんだ。20歳そこそこでジャズをやっている若者はカッコつけていただけ。ジャンルは違うけど、僕だって、当時はなんとなく聞けなかった松田聖子を、いまは聴いているよ。だって、めっちゃ歌うまいんだもん。良いものは良いんだ」

 

クラシックでいえば、渡辺貞夫は小澤征爾だと僕は思う。

 

日本人にアンチ・小澤のなんと多いことか。そして、前述のヘルベルト・フォン・カラヤンにもアンチが…。

 

でも、やっぱり聴いてみると「良いものは良い」。変なバイアスというか、色眼鏡で物事を見ちゃいけない。答えは、「聞いてみて自分で判断すること」だ。

 

折しも、今朝、NHKラジオの『音楽の泉』で、小澤征爾/ボストン交響楽団の1970年代に録音された《ボレロ》と《道化師の朝の歌》(ともにラヴェル作曲)がかかった。

 

曲の途中から聞いた僕は、この演奏のテンポ感とコーダに向かう金管の盛り上がりに「ピン」と来て、司会の奥田佳道さんが小澤の名前を挙げる前に、妻と子供を前にして「小澤の指揮だ!」と言い当てた。

 

それは「単なる自慢」なので、まあ、いいとして(笑)、要は1970年代の小澤とBSOのグラモフォンによる名盤は、やはり凄まじかった! ということを言いたかったのだ。

 

《ボレロ》における、少し早めのテンポ、スネアを弱音でも埋もれさせないバランス、3拍子をことさら強調したようなビート感、そしていかにもアメリカ! という金管楽器の咆哮。

 

40年間聴き続けてきた小澤征爾の演奏は、しっかり僕の頭の中に残されていた。

 

ナベサダやオザワは先駆者と言われるけれど、じゃあ、その後の後継者は…? っていうと、ねえ、誰もいないです。

 

それだけでも、「アンチ」側の人々の心の捻じれ具合が分かるというものだ。

 

なんか、最近、若い日本人の女性指揮者が、よく音楽記事の話題にあがるし、コンサートにも引っ張り凧のようで、個人的には、クラシック音楽界にとってたいへん好もしいことと感じている。

 

しかし、メディアの話題作りは、印象操作と紙一重である。小澤征爾だって、アメリカでの最初の売り出し方は、上記の女性指揮者の方法と同じで「色物」「見世物」系だった、と僕は認識している。日本人が西洋音楽やるなんて、「サルに曲芸させる」のレベルで「儲かる」と感じたんだろうね、一流の興行師から見たら。

 

しかし、オザワもナベサダも実力で「本物」を勝ち取った。

 

残念ながら、小澤を超える人はもう出てこないと思う。「ニューイヤー」を振ったり、アメリカ五大メジャー・オケや、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めるような指揮者は出ないだろうと予測する。

 

話題の女性指揮者も、今後、もっともっと音楽を「大きく」感じられるような、破天荒な指揮をしてほしい。綺麗なだけじゃダメ。岡本太郎じゃないけど。

 

小柄でかわいいから応援はしたくなるんだけれども。

 

結びに、今朝の奥田佳道さんの選曲(演奏者選び)に拍手を送ります。やっぱり「良いものは良い」んですから。