◉集中と意思
「集中できないのは意思が弱いからだ」
とよく言われたりします。
僕自身、親や先生など、いろんな大人たちにそう言われ続けてきました。
一般的にもそのように捉えられていることがほとんどのようで、集中できないことがあたかも己の人間性の弱さの証明であるかのように言われたりもします。
だからでしょうか、僕は集中ができなかったりすると
「なんて自分は意思が弱いダメ野郎なんだ」
と自分のことを思ったりしていました。
このブログを読んでくださっている方の中にも集中できない自分をそんなふうに責めて苦しんでいる方もいるのではないでしょうか?
しかし集中について学んできて、僕は今、声を大にして言いたいです。
たとえあなたがなかなか集中できないのだとしても、それはあなたの意思の弱さとは何ら関係のないことなのだ!、と。
◉集中はスキルである。
以前にも書きましたが、集中力は生まれもった才能でもなければ、選ばれた人のみが持てる特殊な力でもありません。
トレーニングで身につけることのできる「スキル」です。
確かに特になにかトレーニングをしたわけでもないけど、集中できる人だっています。
でもだからと言って、今の時点で集中できない人は一生集中できないなんてことはありません。
きちんとしたトレーニングさえ積めば間違いなく集中力はつけることが可能なのです。
◉過ごした環境
実は集中できるかできないかという問題は想像以上に根が深く、"その人が育ってきた環境"によって、大きく左右されます。
幼いころから何かに夢中になることを許され、のびのびと育った子は自然に目の前のことに集中できるようになるし、
逆に親からあれをやれ、これはだめと制限されたり、常に監視されているような環境だったりすると、目の前のことに集中する習慣が身につかず、なかなか集中できません。
◉意思の力では集中できない
このように、その人が育ってきた環境で身につけた、物事へ取り組む態度や習慣が、ダイレクトに集中力につながっているわけです。
それが意思の力なんて話にされたのではたまったもんじゃありません。
そしてさらに言えば、意思の力で実行した集中は決して長続きしません。
というのも、意思の力を使うと人間はものすごくたくさんの精神的なエネルギーを消費してしまうので、その状態を長い間維持することはほぼ不可能なのです。
人間は基本的には意思が強くないので、意思の力で集中しようというのはナンセンスな話だとも言えます。
あなたがもし意思の力で集中しようとして、うまくいかなかったとしても、それで自分を責める必要は全くありません。
むしろ自然なことだとも言えます。
◉だからこそ希望がある
もし意思の力次第で集中力が決まってしまうなら、意思が弱かったら集中できず人生をよりよく生きるチャンスは失われてしまうということになってしまいます。
そして逆に意思が強ければ楽に勝ち組になれてしまいます。
それなら意思さえ強ければ楽に集中を手にいれられるし、そうなりたいと思うかもしれません。
しかし、むしろそうでないからこそ希望があると思うんです。
努力したものが報われる。
すべてが生まれ育ちで決まるわけでなく、努力次第でいくらでもチャンスがある。
今は集中することすらできないと自分を責めているかもしれないけれど、変わることができる。
だからこそ僕は集中法に大きな希望を感じます。