今日の一曲!坂本真綾「パイロット」 | A Flood of Music

今日の一曲!坂本真綾「パイロット」

 

乱数メーカーの結果:843

 

 上記に基づく「今日の一曲!」は、坂本真綾のセクション(832~851)から「パイロット」です。詳しい選曲プロセスが知りたい方は、こちらの説明記事をご覧ください。

 

 

収録先:『走る』(1998)

 

 

 本曲の初出はシングル『走る』のc/wです。Wikipediaにも書かれている通り表題曲(便宜的に「Single Ver.」)はこのディスクでしか聴けない上に、カップリング曲のほうが後の収録先が多いという逆転現象が起きています。8cmCDなので確かにフィジカルでの入手機会は少ないけれども、デジタルであれば容易に音源をダウンロード可能です。

 

 「Single Ver.」が目当ての方に注意していただきたいのは配信限定アルバム『「地図と手紙と恋のうた」より-春』(2007)で、同盤に収録の「走る」は『DIVE』(1998)と同じく「Album Ver.」であるため表記をそのまま受け取ると仇になります。「Single Ver.」は全体的に元気な歌声で少女性が強い、「Album Ver.」は垢抜けた歌い方で嫋やかさが見られるボーカルテイクです。

 

 

 「走る」の説明に文章を割いてしまいましたが、本記事に取り立てるのは「パイロット」であることを改めて記しておきます。本曲はどの収録先でも同一のバージョンです。

 

 

歌詞(作詞:坂本真綾

 

 本曲の「パイロット」が搭乗するのは概念的な飛行機で、その運航は"眠る間少しだけ"です。"ふたりだけのちから"を動力源とし、"今はふたり触れないヒコーキ"と何人にも邪魔されない不可侵のビジョンが浮かびます。

 

 現実の二人が居るのは遥か下の地上、"白い線で描いたマルの中"です。"ふたり寝ころがり/上を見て笑う"と情景描写は穏やかですが、続く"別に高い壁なんかなくても/僕らは決まりを破ることなんて/きっとしないね"で、先の"マル"が境界の役割を果たしているとわかり不穏な背景が見えてきます。

 

 "本当なら早く連れ出したい"に"逃げないけれどその真似をしようよ"とある通り、本心では"決まり"を破って"マル"の外に出たいと願っているけれどもそれが叶わぬ状況に置かれているため、せめて空想の世界では自由で在ろうとしていると読み解くと何とも切ない神域です。

 

 本項の書き出しでは「搭乗」に「運航」と二人が飛行機に乗り込む体の語彙選択をしましたが、地上で"寝ころがり/上を見て"いる光景と"ヒコーキ"がカタカナ表記である点をを考慮すると、空に想像上の紙ヒコーキを飛ばしているという解釈も出来ます。"飛ぼうか"の自発性と能動性を優先して前者を支持したいものの、"飛ばそうか"は後者に根差した言葉選びのような気もするので両論併記です。

 

 "甘すぎるドーナツ"のくだりは"マル"の性質を暴くヒントになり得えます。イネディブルな変質を"彼らに近づいた"と表現している以上、逆サイドの"僕たち"はエディブルな状態こそが本来の姿だと信じているはずです。言わば偽物に囲われてもなお、"本物はまだ遠いところに/あるんだろう"との推測に至れる人間にとって、"マル"の中はさぞかし息苦しいでしょう。

 

 

メロディ(作曲:菅野よう子)

 

 綺麗だけれど物悲しい旋律であるのは、現実に"ふたり"が置かれている状況の悲惨さと、一時の空想でもそこから逃れられることの幸せが鬩ぎ合っているからだと捉えています。とりわけサビメロはそれだけでも泣きたくなるような美しさを誇っているのに、歌詞にない英語詞のバックコーラスがフォローしてくることで輪唱のような趣が出ていてより情緒纏綿です。

 

 

アレンジ(編曲:菅野よう子)

 

 上述したメロディのフラジャリティがアレンジの妙で更に高められており、別けても英語詞のみになるパートのストリングスの緊張感は、"ふたりだけ"の神域が侵されつつある嫌な予兆に聴こえます。ここまでの弦遣いは浮遊感だったり透明感だったりで特徴付けられるものだったので、終盤にウェットな質感を付与されるとギャップで一段と琴線に触れますね。

 

 

 
 

備考:『DIVE』(1998)

 

 

 同作は「パイロット」のオリジナルアルバムとしての収録先です。四半世紀近く昔の作品であるのに古臭さを感じさせないのは流石の菅野よう子ワークスと言えます。菅野さんが手掛けた坂本真綾のディスコグラフィーを振り返ると、音作りに初々しさが感じられるのは1st『グレープフルーツ』(1997)ぐらいで、2nd~4thおよびミニの1stは近年の音源と比較しても遜色のない洗練されたサウンドメイキングです。

 

 これにはおそらく浦田恵司さんの手腕もあると踏んでいて、『DIVE』にはSound Architectとしてクレジットされているほか、その他の盤ではSynthesizer Manipulate/-ingにお名前が載っています。5th以降でも「トライアングラー」(2008)に「美しい人」(2010)に「アルコ」(2015)と、菅野よう子プロデュース楽曲にはシンセのマニピュレーターないしプログラミングとして参加している鉄板タッグです。

 

 ちなみに『DIVE』の収録曲でいちばん好みなのは「ユッカ」で、歌詞内容に甚く感銘を受けている個人的三強の一角でもあります。他の二角「Rule~色褪せない日々」(2001)「光あれ」(2003)はレビュー済みなので、いつの日か紹介出来たら幸いです。