今日の一曲!東京事変「金魚の箱」 | A Flood of Music

今日の一曲!東京事変「金魚の箱」

 

乱数メーカーの結果:957

 

 上記に基づく「今日の一曲!」は、東京事変のセクション(952~961)から「金魚の箱」です。詳しい選曲プロセスが知りたい方は、こちらの説明記事をご覧ください。

 

 

 

収録先:『娯楽』(2007)

 

 

 リリース当時賛否両論あった記憶が蘇る一枚です。2ndアルバムまではソングライティングの殆どを椎名さんが担っていたため、作曲から完全に手を引いた本作に戸惑いを覚えたリスナーも多かったことでしょう。「ソロではもうモチベを維持出来ないからバンドを始めた(意訳)」は後年に語られた結成の経緯ですが、以前から「ソロ名義でオリジナルアルバムを出すのは3枚まで」という噂が実しやかに存在していたのもあって(若い頃の本人談?)、手ずからの領分が縮小していくこと自体はそこまで意外ではなかったと顧みます。シンガーに専念する伏線は張られていただろうと。

 

 しかしこの頃の事変はまだ「言うて椎名林檎バンドでしょ?」的な認識を正直持たれていて、且つそれが好意的に受け取られていたと思います。その状況下で作曲からだけとはいえ椎名さんがクレジットされないとなると、ある程度の別物感が出てしまうのは否めませんよね。シングル『OSCA』と『キラーチューン』(共に2007)で「作曲:浮雲/伊澤一葉」のエクスキューズはきちんと取っており、実際これらの表題曲は抵抗なく受け容れられていた気がするけれども、それがアルバム全体にまで一気に拡大するのは予想外でした。事実その後の4th~8thに少なくとも一曲は「作曲:椎名林檎」のナンバーが収められていることから、本作へのリアクションには思う所があったのかなと推測します。

 

 上記はあくまでシーンの分析で、個人的な感性では本作が以前または以降の作品に比べて劣っているとは考えていません。自作のプレイリスト(東京事変は10*3の全30曲編成)への振り分けを基にアルバム毎のお気に入り具合を読んでみると、『教育』(2004)からが6曲と最も多い他は均等に3~4曲(ミニアルバムは除く)ずつで構成されているとわかりました。このうち『娯楽』からは上位10曲までに「OSCA」と「金魚の箱」を、上位20曲までに「SSAW」と「月極姫」をラインナップさせており、浮雲伊澤両氏の作曲も好んでいることが判明します。リストからは溢れてしまっていますが、「ミラーボール」と「某都民」もフェイバリットです。

 

 

歌詞(作詞:伊澤一葉)

 

 一方を飼育下に置く内容ならではの嗜虐的な表現が鮮やかです。飼育スペースが水槽や金魚鉢ならまだ愛玩的な文脈を感じられるのに(それでも可哀想と言えなくもないのに)、"銀の皿[プレート]に水を張られて無理矢理に呼吸"で過酷な環境が示され、それでも"この世界にあたしは順応 水はいらないの あたし次第 どこで生きる?"と折れない姿勢を見せられると、尚の事加虐心をそそられます。金魚への給餌と言われてまず思い浮かぶ丸い人工飼料を与える光景も、"空から丸い味?"[なの]と金魚目線で描かれると何処か哀れです。

 

 "あなたがあたしを泳がせる 水面で時々目が会う"の緊張感に、"嫌い 夢を太らせた金魚なんて"の嫌悪感からはまだ反抗心が窺えるけれども、2番からはそれらの被虐が快感に変わっていくような言辞が見られます。思考力低下の表れか歌詞は全てカタカナに変化し飼い主は"カミサマ"となり、"アタシタチ ヨゴトナンシュウモ"で相当の月日の経過と、"カガミノナカ エンシュウリツヲ ユカイニネ ススメテイク"で永遠に終わりがないことを知ってしまうと、学習性無力感からの諦めと認知的不協和から来る正当化で状況を乗り切ろうとして、"タノシムコトヲ シリハジメテル"および"シアワセノナカニイル"と錯覚していくのも道理です。

 

 しかしオチとしては"永遠はないよ/「箱から丸い金魚落ちたよー」"であるため、何れかのタイミングで"あたし"は外へと放たれます。これが自らの意志によるものなのか(直前に"もうなんか なんだか眠りたいよ"とあるので無理筋か)、飼い主が意図的に行ったことなのか将又意図しない事故か、もしくは全くの第三者が介入した結果であったり天災等の自然現象のせいだったりするのかで話は変わってきますが、金魚が落ちたことを誰かに報告していると解せるラストの台詞に鑑みると、先に無理筋とした自力脱出の果てを飼い主以外が発見したという情景が浮かんできます。

 

 整合性を得るために発想のレベルを一段階上げて妄想混じりに解釈しますと、"眠りたいよ"も"永遠はないよ"も共に金魚が死にかけていることについての言及で、最後の力を振り絞って外に飛び出したはいいがそこで絶命、亡骸はお迎えに訪れた使者によって発見され、その旨を天に報告する際の台詞が"「箱から丸い金魚落ちたよー」"ではないでしょうか。2番の時点では飼い主の言い換えとした"カミサマ"ですが、実は上位存在としての神様を指していたとする捉え方です。この場合だと"マンマ カミサマ オキルノヲマッテ"は、「早く殺してくれ」をオブラートに包んだ節回しかもしれないと、自分で書いていて恐ろしくなりました。

 

 

メロディ(作曲:伊澤一葉)

 

 どんどん水底に沈んでいくような展開を見せるAメロの果てに文字通り流麗なBメロが来て、コンパクトながらに閉ざされた美で完成している蓋し「金魚の箱」なサビが流れる統一された世界観にこだわりが感じられます。"血の色"のサウンドスケープも旋律に反映されているふうに聴こえ、Aメロ前半の刺々しいラインやサビメロのエッジィな音運びはとりわけ自傷的な趣です。

 

 MSNミュージック上のセルフ楽曲解説で椎名さんが「私のソロにも近い世界」と述べているように、過去のソロ曲で例示すれば「浴室」(2000)に似た雰囲気を覚えます。同じく屋内の水場が舞台という立脚地からの水流を思わせるフロウと、所々に不穏な背景が織り込まれているという視座からの攻撃的なメロディが共通点です。

 

 

アレンジ(編曲:東京事変)

 

 またもMSNをソースとして曰く「前作のアレンジに近い」とも語られていて、確かに『大人』(2006)に入っていても違和感がないであろう洗練された演奏に酔い痴れられます。「浴室」との比較では同曲はテクノ的というかダンスミュージックオリエンテッドなつくりだったのに対して、本曲はバンドサウンド重視で異なるアウトプットです。

 

 最もツボなのはサビ後半("苦しむ心が"~)からのギターです。エフェクターを介したゆえの音に聴こえるのですが、先掲のライブ音源で聴くとキーボード由来の音のような気もして、楽器の同定が怪しくすみません。ともかくメロの持つ鋭利さを際立たせる副旋律的な役割があり、金魚ないし血の「赤」を一層強く意識させられます。亀田さんのベースも全編に亘って素敵で、サスペンスや推理モノで流れていそうな疑り深い進行が緊迫感の元です。伊澤さんに依ると本曲の仮タイトルは「80'S」だったそうで、なるほど火サス全盛期の音像かもしれないと世代ではない僕が知ったような口を利いてみます。

 

 

 
 

備考:映画『魍魎の匣』

 

 

 本曲は映画『魍魎の匣』の主題歌で、推理小説にマッチする音楽である点は少なからず意識されているはずです。残念ながら僕は未鑑賞なのですが、観ていればまた違った歌詞解釈も出来るでしょう。