今日の一曲!Bonobo「Emkay」 | A Flood of Music

今日の一曲!Bonobo「Emkay」

 今回の「今日の一曲!」は、Bonoboの「Emkay」(2013)です。5thアルバム『The North Borders』収録曲。


 当ブログ上にボノボの単独記事を立てるのは、去年の10月にアップした「Samurai」(2017)のレビュー以来となります。リンク先の前置き部に記してある通り、それ以前にもボノボに対する言及は行っていたのですが、どの記事でも僕が絶賛していたのは、主に近年の作品についてでした。今年に入ってからリリースされた「Ibrik」も「Linked」(共に2019)も良作であったため、後年ほどベターとの認識は今でも変わっていません。

 しかし、ファンになってからそろそろ1年が経過し、音源の聴き込みもある程度は深くなったなと思えてきたところで、自然と過去作の魅力に気付く機会も多くなってきました。その焦点が今は2010年代の前半に来ており、即ち4th~5thの収録曲に絶賛ハマり中というわけです。『Black Sands』(2010)では「1009」が、『The North Borders』では「Emkay」が、それぞれ大のお気に入りとなっているので、このうち公式に音源がアップされている後者を紹介することに決めました。

 さて、前に「Samurai」をレビューした際に痛感したのですが、インストをメインとする(=ボーカルがあってもサンプリング的な使用に止まる)アーティストでも、感想の文章を書き易い存在とそうでない存在が居て、僕にとってボノボはどうやら後者だったみたいです。従って、「良さは聴けばわかる!」と感性に丸投げするのを最適解とした上で、以降に記す分解的もしくは解剖的な聴き方は、個人的なリアクションノートを開示した風のものであるとご了承ください。ボノボは「打ち込みと生音の甘美な融合」を音楽性の一部としているため、両者の取り違えや楽器の同定ミスをやらかしている可能性が大ですし、自分にしかわからない独特の表現をしてしまっているかもしれませんが、あくまでメモ的な何かだと思っていただければ幸いです…と言い訳。




 演奏装置が弦とも鍵盤ともつかない、輪郭のぼんやりとしたサウンドの反復を軸に、マイクにあたる衣擦れを思わせるノイズに何故か癒しを覚える、落ち着いた滑り出しの序盤。時折挿入される歪んだフルート(=0:07から約14秒置きに出現する音)には若干の棘を感じますが、それすらもイヤガズムに繋がるニクいアクセントです。0:30からビートがドロップし、俄にエレクトロニックな質感が顕に。受話器越しに聴こえてきそうな電子音(=0:44と0:59で聴こえるビープ音的なもの)にも、レトロな切なさが宿っています。

 1:11からサンプリングボーカルがスタート。WhoSampledでは、Keyshia Coleの「Love (Alt. Version)」(2005)がネタ元とされていますが、僕の中での判断は微妙です。YouTubeで聴ける原曲動画のタイムで表せば、おそらく1:56~2:02を抜き出してピッチや順序を弄り回したのだと言いたいのでしょうが、そのような気もするし、そうでないような気もします。元の歌詞的には、"you/Now you're gone, what am I gonna do"の部分で、確かに本曲にもこのように聴こえる箇所があるのは事実です。ただ、一般的の範疇に収まる言葉の連なりなので、他のネタなのではとも思います。がっつり調べる気はないため推測で恐縮ですが、上掲の歌詞には由来していないであろう声ネタ部分(=1:32および1:35~1:36に挿入されるもの)も、「Love~」の何処かの一部だと確信的に言えるのであれば、ネタ元に認定してもいいのではないでしょうか。

 ちなみに当該部の短いインサートは全て好みで、何れも"you"の後に生じた隙間に滑り込むのが巧く、1:32のシンプルな穴埋めも、1:35~1:36の畳み掛けるような滑り込みも素敵です。何と言っているのか自信を持って聴き取れないがゆえに、奇天烈な書き方になってしまっていますが、後者は"you"の後の「ゥイ↑ィーボァー (ヷァ…)」がツボだと伝えたいのでした。フリはイケボで格好良いのに、オチはエコーのかかったコミカルな発声という落差に、美を見出した感覚です。何にせよ、非常にハイセンスなネタの配剤であることに疑いの余地はありません。


 謎のこだわりが炸裂してしまいましたが、この手の断片的な妙味への言及が可能なのは、電子音楽延いては「打ち込み・プログラミング」の醍醐味だと言えるでしょう。しかし、本曲の肝は寧ろ楽曲の後半部に表れてくるとの認識で、分秒で示せば2:43からの展開こそが、ボノボサウンドの真骨頂であると評しています。厳密には、1:59から徐々に存在感を強めていくストリングスと、2:28から断続的に聴こえるサックスが、共に伏線的ではあるんですけどね。

 ということで、ここからは先に記した「打ち込みと生音の甘美な融合」との形容のうち、「生音」つまり「生楽器の演奏」による魅力に迫っていきます。打ち込み主体の音楽に於ける話なので、より正確を期す語彙選択をすると、英語版のWikipediaにあった'the use of organic instrumentation'が、僕が言わんとしていることに最も近い表現です。ともかく、これを語るには実際のライブの映像をご覧いただくのが手っ取り早いので、2013年の5月にロンドンはラウンドハウスで行われた、同曲のパフォーマンスの模様を埋め込んでおきます。




 サムネイルでもおわかりいただけるでしょうが、エレクトロニカに傾倒したミュージシャンのライブとは一見思えないような、しっかりとしたバンドセットが目を引きますよね。「Emkay」は音源の段階から生音が印象的で、バイオリン・ビオラ・チェロの弦楽器隊は当然として、テナーサックス・クラリネット(ソプラノ・バス)・フルートの木管楽器陣も厚く、それらがSimon Green(ボノボの本名)が手掛けしトラックに一層の深みを与えているのは、クレジットからも窺えることです。ライブではこの音源上のエッセンスをリアルタイムで再現出来る形での編成となっており、曲から受ける大まかな印象は変わらないものの、顕著な相違点としては生ドラムの追加があり、これによって全体のグルーヴ感が電子音楽の域を飛び出している点を素晴らしく感じます。あとは、後半の盛り上がりがよりエモーショナルになっているのも美点ですね。

 話を音源に戻しましょう。2:43からの後半部では、前出した生音の持ち札が布石的に披露され、3:12で一旦曲が閉じかけます。その余韻は直ぐにビープ音と(ヷァ…)で破られ、愈々「打ち込みと生音の甘美な融合」が味わえるセクションに突入です。前半部のエレクトロニックな質感とサンプリングの妙味はそのままに、揺蕩う布のように優しい連続性を保ったストリングスの心地好さと、木管の息遣いをダイレクトに感じられるような絶妙なタッチによるプレイングのセクシーさが加わり、これぞボノボサウンドだと喧伝したくなる独自性に酔い痴れます。やがてビートが失せ、管弦楽とサンプリングボーカルのみが残る余韻も新鮮な聴き心地で、フェードアウトの最中に内省的な響きを残しながら迎える穏やかなクロージングは、まさに至高と言うほかありません。