今日の一曲!サカナクション「雨は気まぐれ」
【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:雨】の第七弾です。【追記ここまで】
「今日の一曲!」はサカナクションの「雨は気まぐれ」(2008)です。2ndアルバム『NIGHT FISHING』収録曲。
サカナにとって「雨」は重要なモチーフのひとつだという認識で、それは曲名の一部に雨を冠する楽曲が複数ある(表記はローマ字だったり平仮名だったりしますが)ところからも裏付けられると思います。歌詞にまで目を向けると更に選択肢が増えるので選曲に悩みましたが、雨という漢字がタイトルにストレートに含まれているということで、本記事に於いては「雨は気まぐれ」をレビューの対象とします。
歌詞に於いても雨が占めているウェイトが大きく、該当箇所だけを引用するという表示の仕方では説明が不十分かもしれませんが、冒頭の"降り出す 雨の音が"で物理的な雨を提示、"雨は気まぐれ 心変わりはこの雨のせいだとして"で雨が精神に浸入、"雨は気まぐれな僕のようで、僕そのもののようだ"で雨と同化、"疲れた心の糸を流す 糸を流す雨の川"で雨と共に消失するというのが大まかな流れですかね。初めは穏やかに降り注いでいたであろう雨が、時を経て川になるほどの激しさを得るという、この変質を"僕"と重ねることで"心変わり"を表現しているのであれば、哀しいというかやりきれない思いを感じます。
このようにモチーフとして印象的なのは「雨」ですが、歌詞全体のテーマは「狭間」あるいは「曖昧さ」だと考えています。上に書いたような"心変わり";ひいては心の性質自体がひどく曖昧なものですし、曲名の「雨は気まぐれ」も、降るのかどうかはっきりしないという意味ではいじわるです。他にも"浅い眠り"はレム/ノンレム睡眠の往来、"嘘か罠 見きれず"は疑心暗鬼、"人の隙間"や"夜の隙間"はそのまま隙間、"赤い夕日"は黄昏時と、悪く言えばどっちつかずのものばかりが歌詞に登場しているので、水(=強大な力)に流されてしまうのも致し方ないと言ったところでしょうか。それが悪いと言いたいのではなく、抗いようがない事実であることを示しているのかなと。
歌詞解釈はこのくらいにして、以降では歌詞以外の要素を見ていきます。
初期の楽曲ということもあってか、アレンジとしては比較的シンプルなナンバーだという印象です。それは即ちダンサブルだということでもありますが、独特のノイズ感とうねりのあるシンセを軸にグルーヴが形成され、その周囲をバンドサウンドがしっかりと固めているという、エレクトロ的なアプローチとロックのマナーが共存している点は実にサカナらしいですね。メロディもキャッチーですし、初心者でも聴き易いナンバーだと評せるのではないでしょうか。
しかし繰り返し聴いていると、なかなか作り込みが深いということもわかってきます。軸となっているシンセもフィルター使いの妙によって場面ごとに微妙な変化を見せていますし、脇固めに徹していると思われたバンドサウンドもサビのバックでは主張を強めてきて、特にチャイナ調の旋律を奏でているギターが格好良いですね。2番A後の間奏もオケの変化量が大きく、歌詞通り"夜の隙間"に落ち込んだような物語性を感じますし、単純な曲と断ずることを許さない奥深さがあります。
「雨は気まぐれ」の直接的なレビューは以上となりますが、本曲と何か強い関連性があるのだろうか?と前から疑問に思っている楽曲があるので、最後にそれについて言及させてください。
その楽曲とは「Ame(A)」(2008)のことで、歌詞が"雨は気まぐれ"から始まる点が気になっています。軽く調べたところ同様の気付きをしているファンは他にも多くいるようで、聴き初めの頃は両曲がごっちゃになるというのも共感出来ました。
「Ame(A)」では"雨は気まぐれ つまり心も同じ"と歌われており、これは「雨は気まぐれ」と共通の主張だとしていいと思いますが、こちらはそこまで後向きになっていないというか、描写が何とか現実世界に留まっているように見受けられるので(おそらく"火をつけた煙草"や"忘れかけてた靴"などのマテリアルな単語のせい)、まだ希望が残っている感じがします。
この二曲に関連性を見出すとなると、今度は「Ame(B)」(2009)との関係についても考察する必要があるかもしれませんが、何にせよ楽曲同士のつながりをあれこれ妄想出来るのは楽しい要素ですよね。
「今日の一曲!」はサカナクションの「雨は気まぐれ」(2008)です。2ndアルバム『NIGHT FISHING』収録曲。
サカナにとって「雨」は重要なモチーフのひとつだという認識で、それは曲名の一部に雨を冠する楽曲が複数ある(表記はローマ字だったり平仮名だったりしますが)ところからも裏付けられると思います。歌詞にまで目を向けると更に選択肢が増えるので選曲に悩みましたが、雨という漢字がタイトルにストレートに含まれているということで、本記事に於いては「雨は気まぐれ」をレビューの対象とします。
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歌詞に於いても雨が占めているウェイトが大きく、該当箇所だけを引用するという表示の仕方では説明が不十分かもしれませんが、冒頭の"降り出す 雨の音が"で物理的な雨を提示、"雨は気まぐれ 心変わりはこの雨のせいだとして"で雨が精神に浸入、"雨は気まぐれな僕のようで、僕そのもののようだ"で雨と同化、"疲れた心の糸を流す 糸を流す雨の川"で雨と共に消失するというのが大まかな流れですかね。初めは穏やかに降り注いでいたであろう雨が、時を経て川になるほどの激しさを得るという、この変質を"僕"と重ねることで"心変わり"を表現しているのであれば、哀しいというかやりきれない思いを感じます。
このようにモチーフとして印象的なのは「雨」ですが、歌詞全体のテーマは「狭間」あるいは「曖昧さ」だと考えています。上に書いたような"心変わり";ひいては心の性質自体がひどく曖昧なものですし、曲名の「雨は気まぐれ」も、降るのかどうかはっきりしないという意味ではいじわるです。他にも"浅い眠り"はレム/ノンレム睡眠の往来、"嘘か罠 見きれず"は疑心暗鬼、"人の隙間"や"夜の隙間"はそのまま隙間、"赤い夕日"は黄昏時と、悪く言えばどっちつかずのものばかりが歌詞に登場しているので、水(=強大な力)に流されてしまうのも致し方ないと言ったところでしょうか。それが悪いと言いたいのではなく、抗いようがない事実であることを示しているのかなと。
歌詞解釈はこのくらいにして、以降では歌詞以外の要素を見ていきます。
初期の楽曲ということもあってか、アレンジとしては比較的シンプルなナンバーだという印象です。それは即ちダンサブルだということでもありますが、独特のノイズ感とうねりのあるシンセを軸にグルーヴが形成され、その周囲をバンドサウンドがしっかりと固めているという、エレクトロ的なアプローチとロックのマナーが共存している点は実にサカナらしいですね。メロディもキャッチーですし、初心者でも聴き易いナンバーだと評せるのではないでしょうか。
しかし繰り返し聴いていると、なかなか作り込みが深いということもわかってきます。軸となっているシンセもフィルター使いの妙によって場面ごとに微妙な変化を見せていますし、脇固めに徹していると思われたバンドサウンドもサビのバックでは主張を強めてきて、特にチャイナ調の旋律を奏でているギターが格好良いですね。2番A後の間奏もオケの変化量が大きく、歌詞通り"夜の隙間"に落ち込んだような物語性を感じますし、単純な曲と断ずることを許さない奥深さがあります。
「雨は気まぐれ」の直接的なレビューは以上となりますが、本曲と何か強い関連性があるのだろうか?と前から疑問に思っている楽曲があるので、最後にそれについて言及させてください。
その楽曲とは「Ame(A)」(2008)のことで、歌詞が"雨は気まぐれ"から始まる点が気になっています。軽く調べたところ同様の気付きをしているファンは他にも多くいるようで、聴き初めの頃は両曲がごっちゃになるというのも共感出来ました。
「Ame(A)」では"雨は気まぐれ つまり心も同じ"と歌われており、これは「雨は気まぐれ」と共通の主張だとしていいと思いますが、こちらはそこまで後向きになっていないというか、描写が何とか現実世界に留まっているように見受けられるので(おそらく"火をつけた煙草"や"忘れかけてた靴"などのマテリアルな単語のせい)、まだ希望が残っている感じがします。
この二曲に関連性を見出すとなると、今度は「Ame(B)」(2009)との関係についても考察する必要があるかもしれませんが、何にせよ楽曲同士のつながりをあれこれ妄想出来るのは楽しい要素ですよね。