草野さんの歌詞が素晴らしい、スピッツ「三日月ロックその3」のレビューです。意味。曲。 | A Flood of Music

今日の一曲!スピッツ「三日月ロック その3」

 【追記:2021.1.4】 本記事は「今日の一曲!」Ver. 2.0の第二十二弾です。【追記ここまで】

 本日の出目は【4, 6, 8, 7】だったので【1stの694番】の楽曲、スピッツの「三日月ロック その3」を紹介します。

スターゲイザー/スピッツ

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 「三日月ロック その3」(2004)の音源としての初出は、28thシングル『スターゲイザー』のc/wにてです。「スターゲイザー」は人気TV番組『あいのり』の主題歌だったということもありセールスも好調だったので、c/wとはいえ意外とミーハー層にも知れ渡っている曲ではないかと踏んでいます。笑


 この曲は立ち位置がユニークというか面白い変遷を経ているのが特徴です。一点目:音源として「その1」「その2」が存在しないのに、いきなり「その3」としてリリースされるという意外性。仮題が正題になってしまったかのような印象を受け、その過程が窺えますよね。

 二点目:本来であれば(アルバムの)表題曲に相当するであろうナンバーをc/wに隠すという遊び心。そもそも「三日月ロック」という言葉は10thアルバム(2002)のタイトルに由来しているのですが、この盤には所謂表題曲が収録されていません。そのこと自体にはさして驚かなかったのですが、まさか2年後のシングルのc/wで補完されるとは思っておらず意表を突かれました。

 三点目:特別盤(≒c/w集)への収録がやたら遅いという秘蔵っ子感。スピッツは定期的に未収録楽曲をまとめたアルバムをリリースするバンドですが、『スターゲイザー』と特別盤2nd『色色衣』(2004)は発売時期が近かったためか、『色色衣』には表題の「スターゲイザー」のみが収録され、c/wの「三日月ロック その3」はその次の特別盤『おるたな』(2012)にて初収録という、実に8年越しのロングパスが披露されています。


 このようになかなか数奇な運命に晒されている「三日月ロック その3」ですが、埋もれてしまうには勿体無い名曲なので以下詳しく中身を見ていきましょう。主に歌詞解釈が中心です。

 その前に全体的な曲の印象だけ先に述べますが、ハード且つかっちりとした演奏スタイルによるギターロックに、涙腺を刺激するような切ないメロディラインと文学的な歌詞がのせられるという、これぞまさにスピッツだと言えるようなナンバーだと思います。求める要素を全て兼ね備えている感じね。


 冒頭の自虐の感のある歌詞からいきなり考えさせられます。"不細工な人生を 踏みしめてる/ヒラメキで踊り狂う サルのレベル"。生きるのが下手な人って良く言えば純粋過ぎることが多いと思うんですよね。あれこれ考えているつもりでも実は同じところをグルグル回っているだけみたいな。ここで言う"ヒラメキ"というのもおそらく他人から見たら取るに足らないアイデアなのだと思いますが、それでも"踊り狂"ってしまうのが悲しい性だという気がします。

 次に気になるのは、"色あせない ドキドキは 形だけ変わっていくのだ/次いつ会えるかな"という1番及びラスサビ前のBの歌詞。特に"形だけ変わっていく"というのがひっかかるポイント。僕は【形 → 容(「かたち」と読む) → 姿形/容姿 → 人間】だと解釈し、移り気を表現していると捉えています。陳腐に言えば「恋愛対象(それも割と浅い動機による)がコロコロ変わる」ということですが、この芯の無い自分に嫌気がさしているようなそんな一節に思える。依存先の捜索的な。

 サビの"泣き止んだ邪悪な心で ただ君を想う"というのも愛憎渦巻いているなと思います。2番の"待ちわびて シュールな頭で ただ君を想う"も同じくですが、多分この歌の主人公は"君"には何とも思われていない存在なんだろうなということが透けて見えるようで憐憫の情が沸く。何処までも一方通行な趣を感じるんですよね。


 2番Aの歌詞も好きです。"いいことも やなことも 時が経てば/忘れると言いながら じっと手を見る"。先に「文学的な歌詞」という表現を使いましたが、これはここの"じっと手を見る"に対しての形容です。有名だと思いますが、石川啄木の歌集『一握の砂』(1910)に収めれている代表歌「はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢっと手を見る」からの引用ですよね。

 この"じっと手を見る"をどう解釈するかというのには人の数だけ答えがあるでしょうが、啄木の歌でも「三日月ロック その3」の歌詞でも、現状に対する遣る瀬無さの果ての行動に映るので、それらが積み重なった象徴としての"手"を"じっと見る"というのは、自己認識(自身が置かれている状況の客観視)と逃避への欲求を同時に満たすような含蓄のある表現だという気がします。


 最後は何だか小難しくなってしまいましたし、かなり主観の入った歌詞解釈だとは思いますが、何かを考えるヒントになれば幸いです。