今日のMayaBoo(マヤブー) -2ページ目

『生命ある日に』って本

1962年(昭和37年)に発刊されベストセラーとなった「女学生の日記」である
著者である彼女は 塩瀬信子 と言う名で 昭和16年8月大阪に生まれ
昭和37年3月31日満20歳7ヶ月 先天性の心臓疾患を要因として旅立った

彼女の高校1年の頃(S32年)から昭和36年12月6日頃までの日記
通院をしながらの高校生活 まさに女子高生の様々な思考
人生の意味・入院中でも生きること・世間への関心を綴るなど

病魔に犯され辛く苦しい病床の苦悩を綴った日記ではない
生命について力強く清く美しく積極的に綴られた命の記録です

現代社会は生命の尊厳が希薄になっている…と思いませんか?
それは私自身 引き篭もり臥せっていた時点でそうであったのですが、、、


先日近所にすむ両親宅に実に久しぶりに泊まる事になった
もっともこの家は私が就職後に建てられた物でココに住んだ事はない
そんな家で朝を迎えた まだ家人は寝ているらしく静かな朝だった
ガラス扉の書棚に目を向けた 古びた茶色の本が並んでいた
そんな中に懐かしく目を留めたのがこの本である

私の家族は父の仕事関係で転勤による転宅を何度もしている
その度に不要になった書籍は捨てたり人様に配ってきた
私の本が住んだ事もないこの家に残っているのは希なのだ
しかし、記憶とは素晴しきもので実に鮮明にこの本を覚えている
何故ココに並んでいるのかは不明であるが私の本に違いない

手に取った あの日の感動が蘇った
頬が濡れる ああ今こそ読み返す時
テイタラクの私 生命の価値を考えろ
まさにメッセージの様に私の元に返ってきた


この本との出会いもまた不思議である
中学のある時期 図書委員をしていた よくある順番だ
希望して役を受けたわけではないが 嫌いではなかった
姉の影響で本を読むのが好きな子供であった
もっとも今の様にTVゲームやパソコン、TV娯楽番組や
漫画・アニメ等々が巷に溢れてもいなかった時代である
田畑野山を駆け回るか少年野球クラブに属する野外派以外は
本を読む位しか楽しみは見つけられなかった
ならば私は勉強の振りをして机に向かい読書を選ぶタイプだった

当時の男子中学生と言っても本質は今の子供と大差はない
中学受験で失敗した私は当時住んでいた中学に進んでいた
如何せん田舎の学校であったので殊更に受験地獄でもなかった
冒険小説・スリラー・推理小説が専らで合ったが哲学書や
H好奇心で百科事典や医学書(子供向けであったが…)までも
読み漁っていた それは図書委員としての仕事ではなかった

ある時期、書庫の整理で古い本を処分すると言う作業が行われた
書籍の装丁やページの破れ痛みのひどい物を仕分ける仕事だった
これは実に愉しい作業だった 普段は見向きもしない書棚の本を手に取り
パラパラパラと捲り痛みの酷い書籍を探すのだから面白い
読んだ気にもなるし意外な発見にもなる 好奇心旺盛な少年には堪らない

装丁がはずれかかり 古ぼけた一冊の本 読書カードもなかった(様に記憶する)
『生命ある日に』と言う暗い題名であったが「女子学生の日記」と言う文字が…
しかし、挿絵もなく恋愛物のようなドキドキもなさそうな文章
迷うことなく処分箱に投げ入れた

それから数日後 担当教諭の指示で修復本と処分本の選別が始まった
また私の手にこの本が届けられた 教諭が「その本は君にあげる 良い本だよ」
「じっくり読んで読書感想文を書いて提出しなさい」 ええっ~????
読書感想文??? 夏休み前の事だったかと記憶するが、酷な話である
感想文の課題図書はあるのに…更にこの本の感想文まで…(;一_一)シマッタ~

実にその時点で発刊から12年以上も経過した手垢にまみれた本である

自宅に持って帰った私は2歳上の姉に本を見せた
姉は「あら、私もう読んだよ」とそっけなく言うではないか
流石に「本の虫」とあだ名される姉様である
「この本の感想文を書けって言われた」と相談すると「書けば!」と…
そりゃ貴女は文芸部で作詩作文の才能はおありでしょうが、、、<(_ _)>

ひと夏かけて何度も読んで感動?らしきものはあったのですが
感想文を書くとなると気負いが出てなかなか純粋な心で読めない性分でして
(どんな感想文を書いたのか記憶はないのですが…)
夏が終わった頃 かの教諭から「古ぼけた本だけど大切にしろ」って言葉だけは
しっかりと記憶に残っておりまして きっとそれで捨てずに今日までココに


いくつかのページにしおりが挟んである 当時文章の引用でもしたのだろう
しかし少年期の私は良い感性を持っていたと思える 今でも胸を刺す言葉だ


18歳の少女 困難な手術を受けるを決意 前の夜雨が降っている
術後 生きている 死んだ筈の私が生きているのはすべきことがあるから 頑張る


実に今の子供達に読んで欲しい 感じて欲しい 生き方の導を彼女は語る
彼女の言葉はいっこうに色あせたり時代錯誤や堅苦しいものではない
感性は現代の学生達と違いはない 確かに今時の省略言葉はないのだが
嘆かわしくも齢半世紀を間近にした私にも警鐘してくれる言葉が綴られる


この四月 高校に入学した姪に丁度の時だと思いこの本をアマゾンで検索
ウェブでも検索 ないですね
復刊を望む声があるばかりでお探しの方の多いこと…\(◎o◎)/!
人気を博した本であったようですから 私の本も165刷版の1冊
まだまだ綺麗な状態で図書館や皆様の書庫に眠っていると思います
是非お持ちでしたらご一報を頂きたい

本の内容についてはまた機会あれば書く事にしますが
復刊を望みます 故塩瀬信子様もご家族様も賛成くださると思うのですが

合掌


人は何の為に生きるか

自分を知る為に生きるのだ

一生自分を知らずに自分を支配できない人もいる

どんな職をもちどんな生き方をするかという事は、自分自身を確立する途中の

段階なのである。そこから自分を作るものを吸い取ってゆくのだ。

<<中略>>

しかし……しかしどうやって自分を知るのだろう。  四月六日






懐かしい友が 訪ねて来てくれました

あの頃 ホワイトの瓶を抱えて

狭い下宿で 片寄せあって

ガナリ声で歌ってた 何度も何度も

先輩の親父様 亡くなったんだって…

そんで 懐かしさで 訪ねて来てくれました

カセットテープ引っ張り出して 歌いました

飲みつぶれて 先輩は寝ちゃいました

辛かったんだろうな…

そんな歳になったんだよな…



  「翼あるもの」 (甲斐バンド)
 
どしゃ降りの雨をぬけ 晴れ間に 会えたとしても
古いコートは きっと今は まだ 脱ぎ捨てはしない 今は きっと

行く先を決めかねて 佇む 一人の曲り角
さすらう風の 小耳にそっと 行く先 たずねてる うつろな 今日

明日はどこへ行こう
明日はどこへ行こう
俺の海に 翼ひろげ 俺は滑り出す
お前という あたたかな港に たどり着くまで


疲れ果てた身体をだまし ただ 鳥のように翔ぶさ
風に乗り 雲をつきぬけ 自由を夢みて めざして 大きく はばたく

現代に生きる俺たちに 星は進路を指してくれる
夜の海 誰かが高く 燈火を 生命をともしてる 悲しげに 高く

明日はどこへ行こう
明日はどこへ行こう
いま夕陽に 翼ぬらし 俺は帰るのさ
お前という あたたかな港に たどり着くまで
俺の海に 翼ひろげ 俺は滑り出す
お前という あたたかな港に たどり着くまで


俺の海に 翼ひろげ 俺は滑り出す
お前という あたたかな港に たどり着くまで

俺の声が聞こえるかい お前に呼びかける
こらえ切れず そばにいたいと 叫びつづける…

五十肩か??

実は、もう二ヶ月以上も左肩が「五十肩」で痛い…

この五十肩、「としうで」って言う病名があるんだって

ま、小生も四捨五入で立派な五十歳代…って事で

病名はどっちでも良い事なんですが

とにかく痛い、普通にしていても鈍痛

左手を少し動かすだけでも痛い 本当に痛い

着替える動作も痛みを堪えながら でも痛い

PCのキーボードに手を乗せているだけでも痛い

寝返りをうち 左が下になったとたん痛みで目が覚める

ちょっとした動きで激痛が走り 暫し動きが続けられない

とにかく痛い 激しい時には 手のひらにまで痛みが残る

左腕のダラリとしているだけでも痛く やり場がない

肩こりとは違い肩先から肘にかけての痛みが特に激しい


「痛い」「痛い」って 男子たるもの 少しは我慢しろ!!

って言ってみても痛いものは痛い… (゚_゚i)


で、原因を調べてみた

・棘上筋腱という筋がすり減ったり

・肩峰下粘液包、三角筋下粘液包が炎症を起こしたり

・肘をまげる上腕二頭筋腱の鞘が炎症を起こしたり

…等など とにかく肩の周りの腱・腱鞘・関節包・粘膜包が

炎症を起こし 肩が凍り付いた様に動かなくなった状態 らしい

で、小生は 現在 左肩だけだが 右も同時期や時期を違えて

発症するケースが多い 発症する人は 発症しやすい

なりにくい人はなりにくいが 健康情況や 過去の運動履歴には

あまり関係性はない様に思われる らしい でも痛い


治療方法は… 調べてみた

突如急激に発生する石灰化粘液包炎には 早期にステロイドホルモンと

局所麻酔剤の注射で比較的短期間で治癒

理学療法としては ホットパック(蒸しタオル的なもの)で温める

超音波療法・軽いマッサージ・コッドマン体操・滑車体操を推奨

要は温めて血の循環を良くして 痛みをとり 痙攣を起こしている筋肉を

和らげ 痛くない様に良く動く肩にする努力をしなさい! らしい

民間療法的には はり お灸 指圧も多少は有効です が、

病気の本能が凍りついて動かなくなった状態なので 温め

自分で動かし 自然に痛みがなくなるまで 根気良く待つ

とにかく痛い手もどんどん使いましょう  ってマジかよ(;一_一)


コッドマン体操 とは

  痛いほうの手にアイロンや鉄アレイの様なものを持ち(握り易い加重物)
  身体をお辞儀をする様に 前傾させる が、この際に腰への負担軽減の為
  もう片方の手を壁や机に掛け体重を分散させる事が大切です
  身体を前傾させたまま 手にした加重物を前後・左右に軽く円運動させます
  加重物の重さで自然に円運動の振幅が広がり大きな運動を持続させます
  この際には自身の腕力で動かそうとしない事が大切 また激しい円運動で
  加重物を飛ばさない様に注意必要です
  円運動は一周させる必要はなく 軽く円周運動を繰り返すだけでも大丈夫
  10分位2分休憩を3回くらい繰り返す を1日何度もやりましょう

 と、習ってきましたが やはり痛く 何度も繰り返す事は辛いです

初老期・中老期の人が いつとはなしに痛みを覚えるこの病気

放置しても半年から1年ほどで自然にも治癒します  らしいのですが

運動をすることで より短期間で治癒出来る様に頑張りましょう  ってさ

「初老」って(°Д°;≡°Д°;)
。o○オイ まだまだ気持ちは若いのに…

で、釣竿を 持つ手が痛いって 非常に辛いのであります(。>0<。)


余談ですが
肌に「ほくろ」の様なサイズで 赤い血球があなたの肌に出来ていませんか?

「あっそれ 皮膚の老化です」って 九大の若い可愛らしい女医さんが笑って

言いました おいおい笑って言うことか? 私相当ショックなんですけど…(;´Д`)ノ