
不忍池の北側に上野東照宮があります。
そこに続く階段の左側に。

フェンス越しで見えにくいですが、彰義隊が造った塹壕の跡が残っています。

…スミマセン、写真で見ると全く分かりませんね…( ´-ω-)y‐┛~~
興味のある方は是非フェンスまでよじ登って見てください。
(くれぐれも足元気をつけて!意外に急勾配でした。)
肉眼だと分かるはずです。
この辺りには穴稲荷門があったと想定されているそうですが、ここも守備の要、神木隊や浩気隊(小浜藩)などが善戦するも、黒門が突破された正午頃やはり破られてしまったそうです。
(この時、新政府軍は不忍池からも小舟で向かってきたといいますが、先日伺った時の不忍池は蓮の葉で埋まっており、新暦でいうと7月4日頃にあたる上野戦争の日、果たしてどんな風に舟で向かったのか…と考えてしまいました。)
彰義隊の本営、寛永寺。
当時の寛永寺は現在の上野公園ほぼ全域。
とてつもなく広大でした。


上野戦争で大方の建物は焼失してしまったので、現在の根本中堂は明治8年に再建される際に川越・喜多院から移築されたものだそう。
そして規模もかなり縮小されてしまいました。

供養塔や記念碑が沢山ありました。


根本中堂裏手には徳川慶喜が謹慎したという葵の間がありますが、普段は非公開。

ちょっとだけ見えます。
かなり怪しい行動、よいこは真似しちゃダメ、絶対!

特別公開日には是非行きたいものです。
こうして上野を歩いてみることにより…。
恥ずかしながら今まで彰義隊のことを知らなさすぎたことを痛感。
そこかしこに彼らのいた証があり、戦った跡があり。
幕末という激動の歴史を物語っておりました。
実は上野散策は通算三回。
先日は事前に杉浦日南子さん原作の映画、合葬も観てからの史跡巡り、ようやくいろんな事が繋がりました。
そして土方さんと共に戦った人々がいろんなルートを経て宇都宮へ、仙台へ、箱館へ向かったのですが、それらが何とかクリアに解るようになりました。
一緒に歩いてくれた仲間たち、ありがとう!
また共にいろんな所に出掛けましょう。
そして師匠!
こんなわからんちんのワタシに懲りずご教授下さり感謝です。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
ほんとはもっと綴りたいこともありますが…。
それはまたいつかの機会に。
ではまた。
ごきげんよう~~♪