楠木正成シリーズ第六弾。
1、なぜ、今、楠木正成なのか?
2、楠木正成数百騎で数万に対抗する ~赤坂城の戦い~
3、諸葛孔明の戦法と楠木正成
4、人生や時代の流れが変わるときは「一瞬」
5、そして、時代は動き出す。オススメ動画つき
楠木正成は戦に負け、自分が死ぬことが、客観的にも霊的にも、あらかじめわかっていました。
さすがの正成も、死を目前にして迷い、割り切れない葛藤のために心中おだやかではありません。
楠木正成には
「良将は戦はずして勝つ」
→戦わずして領土を護ることがベスト
「死すことが武道ならば、誰か武芸を習はん」
→死ぬことが武道というなら、習う意味は無い。
といった信念がありました。
しかし、後醍醐天皇の臣下としては道と義を貫かなくてはならない。しかし、100%勝てない、とわかる。だから、戦うことを避けて、後醍醐天皇に比叡山に逃げるようにも進言しますが、その意見は退けられます。
正成は己の心の中に生じた、さまざまな思いや迷いをなかなか断ち切ることができなiいまま、正成は戦いに向かうことになります。
味方は700人。対する、足利尊氏軍は50000人です。もっと味方を集めることもできたでしょうから、明らかに「死」を覚悟した上での戦いでした。
そして、湊川の戦いに行く道すがら、当時、その地方で名を馳せていた禅僧、明極楚俊(みんきそしゅん)のところに立ち寄ることにしたのです。
正成は明極(みんき)和尚に問いました。
「そもさんか、生死の境」
(我は生死の境にいます。さぁ、いかがいたしましょう。)
和尚は答えます。
「両頭截断(せつだん)せば、一剣天によりて寒(すさま)じ」と。
両頭とは「生きる」か「死ぬか」迷っている二つの頭のこと。
それを、一刀のもとに截断(せつだん)してみよ!
その気概をもって振り降ろした覚醒の剣は
「天によって“すさまじい”ものとなる」という意味です。
正成はさらに問います。
「落所は如何」
(「その頭はどこに落ちるのか?」)
そんな明極楚俊は一喝したのです。
「喝(カァーツ)!!」
「答えなき答え」でした。
そのとき、楠木正成は、鎧をつけたまま、ハッとして立ち上がりました。
そうして、立したまま何度も頭を下げ、しばらくしておもむろに言ったのです。
「和尚、まことに有難うござった。一生涯つむぎ、編んできた自分の信念と信仰と求道の糸が、最後の最後に、きれいに結びきれなかったところでござる。誠にありがとうござった」
和尚の喝を受けた、正成公の迷いの雲は瞬時に晴れ、一点の曇りもない心で戦いに赴きます。
生きるか死ぬかなどは関係ない。
ここまできたら、ただ天命ずに従い、堂々と最後まで戦いきるのみだ。
湊川に赴いた正成公は、十三か所にも及ぶ太刀傷を受けても、決してめげることなく、最後の最後まで戦い、見事に最後をしめくくったのです。
誰よりも知略に長けた楠木正成ですが、最後の戦いだけは一切の戦術・技術を捨てて挑みました。
そこに「生き様」を残したのです。
その「生き様」が後の水戸光圀(水戸黄門)に影響を与え、明治維新の原動力になったのです。
※
そして、ドラマ「太平記」の楠木正成の死に際のシーンは以下の動画です。
太平記37話 4分50秒頃 ~ 12分00秒頃まで
https://www.youtube.com/watch?v=Q1ES-7QAHT0
実際、こんな感じだったかどうかはわかりませんが、
正成公が平和な世を願い続けていたのは事実でしょう。
だから、生まれ変わっても、平和を実現するために生きるでしょう。
※
さらに、以下の写真が、湊川神社の楠木正成公の戦没地。
ここで正成は自害したのです。
今年の3月に撮影しました。
こういった「背景」を知った上で、この地にいくと、こみあげてくるものがありましたね。
楠木正成シリーズは次回でラストにします。
◆5月21日(土)
湊川神社参拝セミナー
http://hokkyoku-ryu.com/seminar/minatogawa/
◆5月22日(日)
湊川神社参拝セミナー・奥義編
http://hokkyoku-ryu.com/seminar/minatogawa/
◆5月29日(日)
幸せ健康まなび家講演会
http://www.kenkoumanabiya.com/seminar/20160529.html
第一部:「私たちは死んだらどこへ行くのか?」
~天国はあるのか?地獄はあるのか?それぞれどんな世界なのか?~
第二部:「この世とあの世の幸せの法則」
~この世の生き方で、あの世はどうなるのか?~
◆6月5日(日)
にんげんクラブ「運命を変える祈りの極意」in東京
http://www.ningenclub.jp/blog01/archives/2016/03/65_1.html
