会いに行けるアイドル | 隆々日誌

隆々日誌

〜この世の記録〜

2019年09月13日 金曜日 (博多 晴れ 最高31度 最低25度)

 

 

会いに行って、そして意思の疎通が計れ、近況を語り合えるアイドル、

Chageのライヴに行った。

 

1週間前くらいに、急遽見に行くことを決め、なんとか最後列を確保できた。

新しくできたZepp FUKUOKAに行くのは今回が初めてだった。

 

最後尾とはいえ、ステージまでが近く、しかも最後列のみ一段高くなっており、

なんのストレスもなくステージを見渡せる良い席だった。

 

今年発売されたChageのアルバムを購入していない私たちには、初聴きとなる曲が多数あった。

そういうライヴは久々だったから新鮮だった。

 

登場したChageとメンバーを見て、ドラムが大島直美さんであることにニヤリとした。

 

新曲がたて続けに披露され、2曲目は先日count downTVでも披露された

「たどり着いたらいつも雨降り〜あの頃君は若かった」カヴァーメドレー。

 

無粋かもしれないが書く。

 

たどり着いたらいつも雨降り、って!!

始まりはいつも雨、じゃなくて!?

 

”疲れ果てている事は 誰にも隠せはしないだろう

 ところが俺らは何の為に こんなに疲れてしまったのか”

 

前述のcount downTVでこの曲のタイトルとこの歌の出だしを聞いた時に、

私は思わず笑ってしまった。

 

馬鹿にしているわけではなく、こんなにも今の心境を言い表した歌が、

まさか新曲ではなく、グループサウンズの時代に吉田拓郎の手によって書かれた曲だなんて。

それも、昭和の福岡の男性が好んで使う「おいら」という一人称を用いて。

とても巧妙な選曲だなと思った。

 

私は気づけなかったが、2曲終わったところで、「喉の調子が悪い」と裟恥。

 

そのあとのMCを聞くと、確かに明らかに声が枯れていた。

 

そして、この2曲が終わったところで、

CHAGE AND ASKAの現状について言及するChage。

 

なんて言っただろうか。

なんか、やっぱりチャゲアスの曲も歌いたいものは歌うという趣旨のことを語り、

これからも歌い続ける、といった趣旨のことを宣言したと思う。

 

もう、私の興味はそのあとにあって、

やっぱり、宣言したChageのあとに、うちの暴狩はChageに返事を返した。

 

「偉い!!」と。

最後列から。

 

え?2曲やって、 Chageが宣言して、マザー・ファッザーズの暴狩が応える、

って、お約束なの?

そういうリハをしたの君達は。

 

もう、それが気になって、Chageの発言をはっきり覚えていない。

 

3曲目。“アイシテル。”

 

馴染みのあるこの歌で、ようやく私にもChageの喉の不調が確認できた。

心労が重なったのだろう。

自然と、私達はそう思えた。

私にとって、6回目のChageのライヴだが、今まで1度たりとも

コンディションの悪い夜はなかった。

だから、許すよ。Chageがちょっとくらい喉悪くても許す。

 

「・・素晴らしい選曲やね」

うちのは、なんか大きめの独り言を呟いていた。

 

 

10曲目。“もうひとつのLOVE SONG”

 

私達は去年聴いた“equal”に、歌の完成系を見た。

 

だけど、もしこの日のライヴで万が一“equal”が演奏されても、

私は静観していようと思っていた。

もう、“equal”じゃないんだから。

だけど、Chageがそれを演るなら、私は黙って見届けるよ、って思ってた。

 

そんな愚かな私に、Chageはちゃんと答えを用意してくれていた。

 

度を超えたシンセとドラムの大音量のイントロが場を支配し、とてもカッコよかった。

 

“そうさ思いのままに歌っていこう(Another song for you)

 君より僕が優しく強くなる(Just go!)”

 

知っていたこの曲が、この夜は全く違う曲に聞こえた。

こんなに強い曲だったなんて。

Chageは私たちにもうひとつのLOVE SONGを用意してくれていた。

 

アナザーソングフォーユーて!!

キミヨリボクガヤサシクツヨクナルって!!

 

え?こんな歌あった?すげえよ歌って!

この夜のために書き下ろされた曲かよ!!そうだよ!!

 

 

12曲目。“あきらめのBlue Day”

 

チャゲアス時代の曲らしいのだが、私は知らなくて。

すごいかっこいい新曲かと思った。

 

“もしも、チャゲがニューウェーブに手を出したら”

みたいな、センスのいい曲だった。

 

 

15曲目。“Love Balance”

 

前野健太作詞の新曲。

 

なんかすごい歌詞の曲だった。

 

“時は流れ 一人になった 別々の道 歩いた”

とか。

 

“もうやめにするよ 枯れた花に 水をやるようなことは”

とか。

 

その挙句、

“終われぬ愛など ないはずと 消えてくれ 消えなくて”

の“消えてくれ”のChageのヒステリックな絶唱が凄すぎて。

 

その挙句、

“私は誰だ 歌でも歌おうか”

と結実する。

 

Chageはこの日のライヴのMCで、

自身の髪の毛を自虐的にイジる場面があった。

 

「俺は生まれ変わったんだよ、バカヤロー笑」

 

とても印象的な発言だった。

 

重ねて、バカにしているわけではなく。

Chageは本来、生まれ変わらなくてもいい男だったのに。

「私は誰だ」と自問しなくてもいい男だったのに。

Chageは元気に、いい曲、楽しい曲、やらしい曲を作っていればそれでよかった。

 

外的要因によって、Chageは生まれ変わらずを得なかった。

「生まれ変わる」という言葉に今まで酔いしれたことのない男が、

唐突に生まれ変わった。

そしたら、新しい曲も今まであった曲も、言葉の意味が全く変わった。

 

私の知る限り、

Chageの歌に出てくる「君」に対して、

Chageはいつだって優しかった。

 

その優しさは、この歌の中では影を潜めていた。

 

 

16曲目。“NとLの野球帽”

 

そうこうしていたら、このコンサートの意味はフィナーレへ向かう。

 

言わずとしれた、Chage作曲のチャゲアスの曲だが、

工業地帯で育った少年のノスタルジックないい曲だが、

この日のChageはこの曲に別の意味を与えた。

 

“俺が笑ってる 俺が突っ立てる 大事そうにシャッターを押す 親父を覚えている”

 

「俺が突っ立てる」

この日のChageは、このフレーズに全身全霊を込めた。

 

本来、そういった意図があるフレーズではないはずなのに、

生まれ変わったり、自分の存在を問うてみたり、俺が突っ立っていたり。

この夜のChageのテーマは「個」だった。

「俺はなんだ」「ここにいるぜ」的な。

 

そのあとに続く

“大事そうにシャッターを押す 親父を覚えている”がひどく感動的で。

なんでだ。

私の感じたこの夜のテーマとは、直接的には関係のない父親の情景が描かれているだけなのに。

 

「俺は誰だ」「Chageだぜ」「チャゲアスのメンバーだぜ」→不器用な父親

 

なんかよくわかんないけど、すごく私の心を打った。

 

例えるなら、

「友達の優しくて可愛いお母さんが、今日借りたエロDVDに出演してた」みたいな。

絶対たとえ間違ったけど。

 

それぐらい、違う事象が二つ同時に頭に飛び込んできて、私の脳は一時パニックだったっていうこと。

そして、いつもの優しい友達のおかあさんも、もちろん好きだけど、

DVDの中のおかあさんも最高だったってこと。

絶対たとえ間違ったけど。

 

そしてこの曲のアウトロは、“ライヴ人見知り”の私の拳すらも上げさせる。

 

ウォーゥウォーゥウォーゥウォゥウォゥウォー 1969 1969

 

リピートされるそのアウトロは、まるでイギリスのフェスを見にきているような、

私には青い空と瑞々しい緑がはっきりと見えていた。

グラストンベリーみたいな。知らんけど。

 

楽しくて美しくて最高な光景だった。

 

すげぇよ、チャゲ。

歌で私たちに明確に意思を伝え、

宿すべき言葉に力を宿し、

そんで、私に幻覚を見せるって。

ヤベェよチャゲ。

悪い宗教の総裁とかだったらヤベェよチャゲ。

 

 

17曲目。“Knockin' on the hill

 

この曲だったと思うんだ。

曲の最後で、Chageが叫んでいて、コーラスのyukoさんも叫んでいて、

隣の裟恥も叫んでいて。

誰の叫び声かわからないけど、私のすぐ耳元で叫んでいるように聞こえて、

ふと会場内を見回して見たけど、誰の声かははっきりわからなくて、

会場中が叫んでるようにも感じて。

別にスピリチュアルな話ではなく、ごく現実的な体験として、

なんか面白い感覚だった。

 

 

19曲目。“WINDY LOAD”

 

紙飛行機を折ってくる、という宿題をうっかり忘れていた私たちに、

半ば強制的に、作ってきた紙飛行機を渡してくれる、近くのChageファンの方。

ありがとう、あの時のどなたか。

私も楽しく紙飛行機を投げたよ。

 

 

20曲目。“kitsch kiss yeah yeah”

 

うん?WINDY LOADでめでたく終わっとけばいいのに。

と、一瞬思ってしまった。

しかし、これは本編1曲目と同じ曲なのか。

私にとって、すでにこのコンサートの意味は完結していたから、

ここで、ちゃんとセットリスト的に、エンターテイメント的に、

ひと工夫する発想がなかった。

1曲目と同じと気づいてからは、アリやね、と思った。

しかも、明らかに、この日1曲目で聞いたこの曲とはバンドの熱量が違った。

カッコよかった。

 

そんな感じで2時間半の、私たちとChageの交流は終わった。

 

私たちにとって、Chageを見に行くことをたまに躊躇する時があった。

それははっきりと明文化されて頭の中にあったわけではないが、

チャゲアスデビュー当時からのファンの裟恥にとっては、「ノスタルジックな思いなのかもしれない」とか、

チャゲアスに関する報道が過熱してるからChageに会いに行きたいんじゃないか、とか。

思えば、Chageを軽んじてしまっていた。

そうじゃない。

いつだって、 Chageは音楽的。

純然たる音楽で私たちを楽しませてくれる。

考えさせてくれる。

だから、ためらうのはやめようと思った。

会いに来ようと思った。

 

 

終演後、ZEPPの最寄駅・唐人町の居酒屋で飲んで帰った。

お通しから美味しいいい感じの居酒屋だった。

 

 

写真:強制発光のイカの一夜干し

 

 

お会計の際、店のマスターが「お近くなんですか?」と聞いてきたので、

「Chageのライヴをみた帰りです」と私は言った。

 

私ははっきりとした口調で言ったが、聞き取れなかったマスターは2度聞き返した。

「あぁチャゲさん、今大変ですもんね」

「なんでも7:3がどうとか・・私ミヤネ屋毎日見てるんで・・」

 

「Chageのライヴをみた帰りです」と聞き取れない居酒屋の店主にまで伝わる醜聞。

 

願わくば、この夜の“NとLの野球帽”の成し遂げた偉大さをこそ、

織りなす歌詞が私の脳に与えた影響をこそ、

お昼の2時からお茶の間に放送してほしいものだが、

そんな子供じみた発想はもちろん現実的ではないので、

私は一人で、Chageの偉大さをとくとくと語り続けることにするよ。

 

 

 

写真:この期に及んでフェミニンに目覚めた裟恥。