「喜多方ラーメン」復活なるか? “老舗の閉店ラッシュ”の中で挑む、新たな進化

日本3大ラーメンの一つとされる福島県の「喜多方ラーメン」を、再び盛り上げようとする動きが強まっている。
 1980年代に、テレビ放送などをきっかけに全国的なブームとなった喜多方ラーメンだが、近年は店主の高齢化や後継者不足で老舗の閉店が相次いでいる。かつて120~130店舗あったとされるラーメン提供店は、現在90店舗ほどにまで減った。

 喜多方ラーメンの発祥は1920年代。中国・浙江省出身の潘欽星氏が喜多方の街で屋台を引き、ラーメンを売り歩いたことに始まる。出前でも麺が伸びにくく、スープがよく絡むように考案されたのが、平打ち熟成多加水の縮れ麺だ。豚骨を中心に、店によって鶏がらや煮干しなどからうまみを引き出したスープと、蔵のまちとして知られる喜多方で製造された地元のしょうゆを使ったかえしも特徴となっている。

記事は、喜多方の生き残り食堂はせ川の長谷川氏が東京ラーメンストリートで出店したと記し、氏が喜多方を盛り上げたいと結んでいる。

さて、この戦略で喜多方の喜多方ラーメンが再隆盛するだろうか。ワタシは否と思っている。それはなぜか。


何度も書くが、喜多方ラーメンには味、製法に定義が無い。さらに喜多方のラーメン屋で作られている最大の協同組合・喜多方老麺会


は喜多方ラーメンという登録商標の取得に失敗している。

つまり、喜多方ラーメンとは喜多方で食べるラーメンの総称でありブランドではないのです。
登録商標を取得出来なかったので、誰がどこで喜多方ラーメンを銘打って商売してもよい現状なのです。
だから喜多方ラーメンは軽く扱われがちで継承者がいないのです。

後継者問題を抱えた喜多方の老舗ラーメン屋の倒産が止まらない。かろうじて坂内食堂は麺食とのコラボで生きながらえていると思われる。

坂内食堂は老舗として昔ながらの味を守っているが、麺食は坂内の名を借り、喜多方ラーメン坂内としてローカライズして本店とは全く違うラーメンを提供している。
フランチャイズだから工場で作った均一の味、製法にならざるを得ないからだ。かろうじて、チャーシューだけは各店舗での仕込みのようだ。

東京で喜多方ラーメン坂内を食べて、本店の味を知りたい!と坂内食堂を訪れたワタシは全く違う味に驚いた。そして本物の喜多方ラーメンはご当地の坂内食堂でなければならないと悟りました。


坂内食堂のような昔ながらのラーメンを作っていては喜多方では老舗に勝てなかった店が、いわゆる進化系という喜多方ラーメンを作り出した。

そもそも喜多方ラーメンの定義が「喜多方で食べられるラーメン」でしかないのだから、出店はし放題、進化のし放題の無法状態となった。
現地の人達は楽しみ、それらの店を紹介しお茶を濁す輩も現れた。

現地の人が騒ぐのは良いとして、進化系喜多方ラーメンは本当に喜多方ラーメンなのか?と訝しんでしまうのです。

出店し放題、味、製法の定義無し。ただ、喜多方市内でラーメン屋を開けば喜多方ラーメンと言って看板を出して商売ができる。そりゃインバウンド客は来るよ。稼いだだろうよ。

さて、どんなラーメンか。HPによると⋯

鶏ガラ、煮干しを使って、従来の喜多方ラーメンより繊細なスープを売りにしている。

このラーメンをローカライズする(東京に合わせて味や製法を変える)ことなく東京ラーメンストリートで出店しているという。

さて、お気づきかと思うが、食堂はせ川が東京ラーメンストリートに出店した仕掛け人は、ラーメンビジネス界のカリスマ前島氏と吉野家によるものだ。

衰退していく喜多方のラーメン業界を盛り上げたいと思うはせ川が、前島、吉野家の声かけに乗ったという図式だろう。

こういった大資本の仕掛けに安易に乗っかり、東京ラーメンストリートではせ川のラーメンを食べてしまったら負けです。

はせ川の本意は、喜多方に来てほしいなのだ。

絶対に東京ラーメンストリートでは食べないぞ!


前島氏も少しけむい。
せたが屋を世界に広めたいと言って吉野家に売却し、吉野家の世界ルートを使って動いていたが、ニューヨークに1店舗、韓国に1店舗しか展開できていない。本当にせたが屋を広めたかったの?と訝しがる人が多い。しかし、氏のビジネス界への賞賛は止まない。
ラーメン屋ではなくビジネスマンとして評価されてしまっている。
そんな氏の直近の活動が食堂はせ川の東京ラーメンストリート出店だと。
早くせたが屋を広めたら?と思うよね。吉野家にラーメンのノウハウを吸収されただけってことになっちゃうよね。

さて、今日は群馬へロケ。
大盛りグルメを撮りますよーおばけキラキラ