たとえばわたしの手に
幸運の実がぽとりと落ちて
うれしく美味しくほおばっていたとして
その間に鳥さんが来て
わたしの向かいにあるこれまたたわわな
幸運の実をついばみはじめたとして
わたしが今、自分が美味しくいただいている実を
食べ終わりもしないで、鳥さんの実まで
欲張って自分のものにしようとしたら
その実をつけてくれた、木さんは
どう思うでしょうか
たとえば誰かを好きになった時
自分と他の誰かを比べることって
さっきの鳥さんと実と木の関係に似ていて
きっと意味のない
誰も幸せにならないことなんだ
ってふと思ったんだ
やろうと思えばできるかもしれない
美味しい美味しい幸運の実
木さんがたわわにつけたその実を全部
自分のものにしたい、とか
大好きな人の全部を独り占めしたくて
他の人に接するのを邪魔したり、とか
でもきっと
そんなことをしているぼくは
とっても惨めで可哀想に違いないし
鳥さんも木さんも悲しい気分になるでしょう
そんな気持ちになり合う関係なんて
続かないでしょう
川面にキラキラと光の粒が散りばめられて
夏の暑さを風が涼しく流してゆく
鳥さんが朗らかに、眺めるぼくの木陰を移動した
きみの向こう側を覗こうとすることは
たとえば相手の携帯を勝手に見ることに似ていて
百害あっても一利もない
って思ってる
波のように天気のように
風のように、太陽と月のように巡る日々の中で
何をもって大好きなきみの
"イチバンの存在"と云えるのだろう
し、
たとえイチバンが"恋人"で
ニバンが"おともだち"だとして
きみが"おともだち"だとして
きみの何がその"恋人"に"劣"ろうか
ぼくたちは互いに
さまざまな関係性を経験し合っているだけで
たまたまそれに"恋人"やら"ともだち"やら
"家族"やら"知り合い"などという名前が
ついてくるだけで
それがぼくたちの"優劣"やら"順位"を
表しているわけではないんだ
木さんのたわわな幸運の実を
ぼくがただ一つ食べたとて
他の鳥さんの分や残りの実まで
全部もぎ取ってしまったとて
ぼくは木さんにとっては
ただただ 一匹のぼくであって
木さんの"何者か"になることは
できないんだ
沈みゆく日の色が
山の白い稜線の隣で
仄かに朱く発光していて
見とれた
もしあの空を
そっくりそのままぼくの手に閉じ込めたい
と思ったところで
どだい無理なんだけど
毎日、ちゃんと生きて
おんなじような時間帯に
この道からあの空を振り見れば
全く同じではなくても
おんなじような空が
いつかは幾度かは
視られると思うんだ
きみとぼくとの関係も
きみとぼく以外の人との関係も
きっとそんな感じで
もし、何処かで幸いにも不幸にも
何かの名前がついてしまったとしても
変わりゆく空と道往く人のように
けして留めることのできない時の流れを
互いに巡ってゆくのさ
誰かが ぼくの沈みゆく色に
見とれてくれたらいいな とも思うし
ぼくはまだ贅沢でワガママだから
今はそれが
きみだったら もしくは
きみみたいな
素敵で大好きで愛しくてたまらない人だったら
どんなにか幸せかな
って
思ってるよ
https://plaza.rakuten.co.jp/mae717da/diary/201801250001/
こんな風に思えるのって
きみが ぼくに
きみなりの一所懸命を
してくれてるからなんだな
って気付いた
きみが優しくしてくれてるから
ぼくは安心して
ぼくの分だけで満足して帰れるんだ
それがどんなに "ぼくだけのもの"でなくても
ぼくにとっては最高に"幸運な実"を
きみがくれてるからなんだ
