なんでも物事の基礎を教えられる時、よく、「大きく、もっと大きく」と言われる。
ピアノ、声楽、歌舞伎、絵画、振り付け、剣道。
大きく、というのはけして、「力んで」ということではなく、脱力した状態で体の根幹から大きくアクションするということだ。
何事も小手先の技術から入るのではなく、土台をしっかり作るところから始まる。
素振り千本、スケールの練習、ロングトーン、デッサン、アイソレーション。
剣道は足から、絵はモノトーンのデッサンから、ピアノは音階や和声から、歌舞伎や声楽は腹から会場の隅々にまで届く大きな声を出すところから、ダンスはやったことがないが、昔バイト先にいたダンスの経験者はまずアイソレーションを教えてくれた。
最終的に披露される華々しい姿とは裏腹に、一番大切とされる基礎は尽く地味で地道なものだ。
それでもピアノに於いて全ての音階を均一に美しくこなすほど難しいことはないと言われるし、剣道やスケートだって一見動きが激しい上半身よりむしろ、下半身の動きがキーになっているところがある。
どれだけ振りかぶって面を打とうとしても、足捌きが悪ければ相手の間合いに入れず、どれだけ腕や首を動かしても、スケーティングが悪ければバランスを崩してしまうし、流れるように安定した演技につながらない。
どれだけ細かい線がかけても、全体的な物体の捉え方がなっていなければ、チグハグな絵になってしまうし、どれだけ激しい動きができても、一つ一つの止めやアクションが確実に表現されていないダンスは美しくない。
リストの超絶技巧を弾けたって、その音が美しくなくまばらなタッチであれば観客は煩くて引いてしまうだろう。
基礎ができない状態で高難度のものに挑んでも、小手先のことしかできない訳である。
なので、むしろ初心者は簡単なものでもいいから、それを目一杯じっくり研究して、完璧に仕上げていく方が、結果としていいものが残るのだ。音数の多い曲は曲自体の華やかさでごまかせるが、音数の少ない難易度の低いとされる曲ほど、その人の素の実力があらわになるものだ。
こういう事を考えると、では会話に於いてはどういうことが「大」であり、「基礎」とされるのかが個人的に気になってきたので、考察してみる。
人と会話をする、というのは芸術でも武道でもないし、エンターテイメントでもスポーツでもない。何とは言えないものだが、強いていうなら「交流」というのだろうか。「交流術」というのは、心理学的には確かにあるにはあるのだろうが、果たしてどこまでそう言ったものが通用するのかは疑問である。
人に言葉を投げかける行為は、何もない湖面に石を投げ入れるようなものだと思っている。
投げなければ静かだった湖面に、一気に衝撃が走り、波が発生する。こういうアクションが「会話」の始まりだと思っている。
それではそのアクションに於いて、「大きく」するとはどういうことなのか。声を大きくすることなのか、言葉を強く放つことなのか。
わたしは、ある種の「素直さ」「ストレートさ」「簡潔さ」が、それなのではないかと思う。
よく国語の問題で、この内容を一言でまとめよ、というのを見かけるが、まさにそういうことが、会話に於ける「基礎」なのではと考える。
「わたしはこう思う、貴方はこうですね、わたしは〇〇したいです、貴方は〇〇ですか」こう言った端的な言葉が基礎となって、会話は成り立っているように思う。
SV、 SVO、SVOO、SVOCと文法が発展してゆくように、どの国の会話も、「今日は天気がいいですね。」「今日は久しぶりに空が晴れ渡っていますね。」「今日は久しぶりに空が晴れ渡ってまるで〇〇のようですね。」などと、少しずつ細かい表現が付け足されてゆく。その基本になっているのは「空が」「晴れている」という事を伝える事なのである。
どれだけでデティールを言おうとしたって、何を言っているかわからないと相手が感じたらおしまいな訳である。
しかし言葉は不思議なもので、文法としては成り立っていなくても、伝わってしまう時がある。言葉にならない言葉だって、人間同士の感覚で、なんとなく相手に伝わる事がある。断片的な表現、「あ」などの、ただの発声ですら、その奥に透けて見える相手の心が、何を言わんとしているのかが分かる時がある。
もしかしたら、それは絵画やダンスや音楽など各ジャンルにもある事なのかもしれない。
そういうところが、理論から外れた面白いところで、こういう事を考え出したら結局どこに答えを見出せばいいのかわからなくなる。
それでも根底にあるのは、「こうしたい」というシンプルな欲求で、「こう動きたい」「こう描きたい」「こう歌いたい」「こう攻略したい」「こう伝えたい」という思いを自分で把握しているのかしていないか、というのが、一番の鍵になってくるように思う。
意思のあるなしでアクションの強さは変わってくる。やらされてやる表現、模擬でする表現と、心の底から、本能の底から出てくる表現ではまるで変わってくる。
会話に於いても、そういう部分が「大」「基礎」になってくるのではないかと、ひとまず結論づけることにする。
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