窓枠 | 森由 壱 - tune bride -

森由 壱 - tune bride -

... という 、夢を視ました 。

人の目についての話である 。

目に 窓枠をつける という表現が 合うかどうかは知らないが
私には そういう風に見える 人々についてである 。



私の目には 窓枠がない 。
と 、自分で思っているだけなのかもしれない 。
人々には 、別の意味合いで 強烈に不自然な窓枠が
私の目に見えているのかもしれない 。


が 、ここで私がいう窓枠 とは 、「理性的な」とか 、「準社会的な」とか
そういった意味合いでの 窓枠で 、けして「偏見」とか「遮蔽」といったものではない 。


とにかく 、わたしはそういう 「目に窓枠を持った人々」が
羨ましい 。
彼らは非常に健全に 、世の中を判断し 、世の中と付き合いし 、
教養のあるアイコンタクトをとる 。



それは 、私にはできないことで 、それは 、私の目に 窓枠がないからであると思う 。


私には 、彼らの 窓枠のある目 が 、怖い 。
私の目には 窓枠がないので 、いろんな意味で 、手入れが行き届いていない 。
眼球が丸出しなのである 。

私の眼球には 私にもわからない 制御外の何かが稼働している 。
感情とも違う 、敵意とも違う 、 それがある種の「コンプレックス」と
同質のものだというような感じは あるにはある 。


それは 、たとえば 何かを確実に壊してしまうような予感 、
目の前の窓枠に対する 無意識の防御 、反抗 、破壊欲
或は 、この目をいつか裏切る可能性の予期不安 。

あらゆる 「よくない感情」が 、わたしの眼球に 原因なく繁殖する 。
わたしの眼球に窓枠がつけられないのも 、それらの
繁殖が著しくて 、つけようとしてもすぐに蝕まれてしまうからかもしれない 。


そういった眼球と 日がな一日暮らしているわけだから 、私はまともに
「窓枠をもった人々」と会話をしたことがない 。
できたと思うような瞬間はあっても 、それは偶然間に合わせのように現れた
上っ面の似非窓枠が わたしの眼球にはりぼての勇気を与えたまでのことである 。

そんな時間を過ごしたあとに限って 、独りになって眼球に張り付いたかぴかぴのはりぼてを引き剥がしながら 、もしかしたら いけるのではないか 、イヤ 、思い過ごしか  などと
無駄に希望を弄んだりするのである 。




私の見解では 、目に窓枠を持った人々に 、剥き出しの目で接するのは 不躾で失礼である 。
しかし 、逆に云うならば 、目が剥き出しのままの人には 、できれば その窓枠を 外せるものならば 外してみてほしい 。 その方が 、何となく 目が楽になる気はするのだ 。


剥き出しの目で窓枠を視てしまうと 、何か写してはいけないものを 其処に写してしまうようで 怖いし 、何かむくむくと 無意識に ぶち壊してしまいたくなる欲望が 眼球を支配するからである 。


しかしながら 、目にある窓枠は 視えるものでもなければ 、容易に 自覚的に取り外しできるものでもない 。

ある人は気付いたら取り付けられており 、ない人は どんなに欲しがっても 、得られないような 生理的な産物なのである 。







嗚呼 その窓枠が欲しい 。私の目に 、世界中の窓枠を何重にも取り付けて 、
「私の眼球」という存在そのものを 釘でめった打ちにして 虚像にしてしまいたい 。


それが 、私の 最近気付いた 通人生的な悩みである 。












...








ここまで読み返して 、自分でもふと 疑問がわく 。
「目の窓枠を外して欲しい」?



今さら気付いたことだが 、そういう人の目も視たことがある 。
所謂「ピュアー」な目 。 実はその目も 自分は怖いのである 。
もしかしたら 「窓枠を持った人々」よりも遥かに恐ろしい 。



だって 、彼らの目には 、破壊する対象すらないのである 。
ピュアーな目 とは即ち 、剥き出しでありながら 、何者にも蝕まれていない眼球 ということで 、
窓枠もないから 、こちらが拒んだり 、反抗しようにも 、実体がつかめないのである 。


そうやって あたふたしている間に 、そのピュアーな眼球は 、いみじい勢いで 蝕まれた眼球を破壊してゆく 。   窓枠がないもの同士のアイコンタクトは 、常に ピュアーな方が勝者と 決まっているようだ 。







ここまで書いている私は 、既に先ほどから眠気に襲われている 。


もしかしたら 、
一番無害なのは 、まどろんで自我が虚ろになってゆく眼球なのかも知れない 。
窓枠も 、ピュアーも 、蝕まれたものも 、眠りに誘われる瞬間ならば 、お互い対等に
無害でいられるのかもしれない 。




だったらわたしは 、常に半分眠りかけた状態の人々と 、常に半分眠りかけて交流したい 。
さすれば私のこの蝕まれた眼球が 、誇大妄想的に自分を卑下してくることも 少なくなろう 。