『ライオン』 作:もり さわこ
一匹のライオンがいた 。
腹が減っていた 。
喰うものが見当たらない 。
己の前肢にかじりついた 。
ライオンは一匹だった 。
来る日も来る日も一匹だった 。
又 腹が減ってきた 。
己の後ろ肢に噛りついた 。
まだ前肢は治らない 。
未だ肉がえぐれたまんまだ 。
蟻が血を啜りにくるのを
一々舐めては取っている 。
その日は痛くて眠れなかった 。
前肢も後ろ肢もじくじくと痛む 。
水を呑みたくなった 。
ライオンは立てない事に気付いた 。
何度も何度も転んだ 。
転ぶ度に砂利が傷口にめり込んだ 。
次第にライオンはしんどくなって
水を呑む事をあきらめた 。
雨を待った 。
幾日も待った 。
その間何度も
腹が空き過ぎて死にそうになった 。
でもライオンは死ななかった 。
しかし躯を食べもしなかった 。
もう少し待とうと思った 。
今食べても どうせ美味しくない 。
七日目を過ぎた辺りから
ライオンは痛みを感じなくなった 。
ふと見ると皮がめくれて骨が出てきていた 。
もうかじっても栄養になりそうもなかった 。
その時 雨が降り出した 。
呑んでも呑んでも呑みつくせない量だ 。
ライオンは まず 目を開けて
乾いた角膜を潤そうと思った 。
そして仰向けに転がって
大口を開けて
いつまでも呑んでいようと思った 。
目を開けようとした 。口を開けようとした
ペリペリ っと軋む音と共に
彼は感覚が失われるのを感じた 。
とりあえず雨粒がとても
冷たい事だけは分かった 。
うれしい筈の大量の雨粒は
何故かライオンには痛く感じた 。
遠のく意識の果てで彼は
自分の干からびた血に雨が交じる感触を覚えた 。
雨は雪に変わり
雪はやがて土に解けた 。
其処にいた筈のライオンは
もういなかった 。
よく見ればたしかに
何かを叫んでいるらしい髑髏が一つ
ぼんやりと土に紛れていたが
やがて若草に埋もれてしまった 。
そう云えばその辺りに毎年
大勢の獣たちが来る 。
小さいのから大きいの迄
奪い合うように来る 。
一年に一度 決まって其処に
巨きな湖が出来るのである 。
そしてその湖が獣たちに呑み干された頃
大量の虫が其処に繁殖する 。
それを小さい動物達が食べにくる 。
大きい獣がそれを襲う 。
それが毎年の様に
其処に繰り返された 。
よく見ればその中に
ライオンもいた 。
そいつも一匹で
他に仲間はいない様子だった 。
そいつは見事なたてがみをしていた 。
獰猛で躯つきも立派だった 。
走ると右足と左足だけが少し
白い色をして奇麗だった 。
捕まえたウサギに噛り付いたライオンは
突然のけ反って
空高く ラー と叫んだ 。
その瞬間 、僅かにウサギの眼から
雨粒の様な味が 零れた気がした 。