そのあとはもう
眠くなることもなく
余計なことを
考えないようにしていた
のかもしれない。
9時から12時まで
ずっと英語の勉強をしていた。
奇跡かよ。
飽きないって凄いぜ俺。
時々スピーキングをするわけだが
マンションの上や下の人たちに
聞こえてるのだろうか。
変な人
出現中
なんだろうか。
*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*
お誘いのメールをいただいて
久方ぶりの新宿だ。
西口でよかった。
ケチャ祭り。
日本じゃなくなっていたな。
空は暗くなり
15分ほど
雨。
図らずも涙した。
心が洗われる音楽だった。
泣いた。
雨だ。
綺麗な雨だった。
夜を迎えた。
18時に渋谷。
*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*
話をした。
1時間。
話したいことなら
全て言えたような
どうなんだろう。
口にすることは難しいから
実際全てを話せたのかどうかは解らない。
でも
ちゃんと話を聞いてくれたし
ちゃんと話が出来た。
とても大切な時間を
過ごすことができた。
悲しいも悔しいも寂しいと
さよならもありがとうも
全部あった。
この身に起こる何もかもは
全て真実なのだ。
その全て
受け入れようとは思わないけれど
少なくとも
拒んでしまっては
それは
生きることを拒むようで
前に進むことを拒むようで
悲しいことだと思った。
自分が自分であることを
認めてあげたいし
自分が自分じゃないような時も
それがその時の自分であることを
認めてあげたいし
もう
生きてさえいれば
なんとかなる。
それ以外のことは
やめちまえよ
って
そう投げかけてあげることだって
良いし
それが自分を認めることになるなら
全然アリだし
やめすぎだろ、情けない
的な自己嫌悪に陥るんなら
それは
自己嫌悪に陥ることができるほど
考える事が出来るようになっちまったから
凄いことなんかもしれんぞ。
何もかも気になるんなら
気にしとけば良いし
いつの間に気にならなくなってたら
忘れちゃえば良いんじゃね。
忘れちゃったことを
思い出したいのなら
またちょっと
勇気出してみれば良いんじゃね。
なぁ。
ここまで来れたじゃん。
褒めてあげたっていい。
ちゃんと生きてるよ。
2ヶ月半前の自分よ
思考が停止した俺は
死にたいとか生きたいとか
そういうベクトルすらも
持ち合わせてなかったよ。
それが功を奏したんじゃないか。
ほら、生きてるぞ。
こうして
元気になった
って
声かけてあげられるぞ。
俺はあんたのこと
絶対
忘れない。
…と思うよ。
忘れたらごめんよ。
その時は
また日記開いて
思い出そうじゃないの。
何年経っても
そこに残ってんだから。
日記を書いてやろうって
思えた6月1日のお前に
感謝するよ。
ありがとう。
生きてるよ。
*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*