矛盾のなかで | FLY HIGH

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登ることは生きること。後悔をしない毎日を。

今のお仕事になってから、

土日になれば休み、という生活ではなくなり

始めのころは山仲間ができなかったり、

思うように行きたい山に行けなかったりすることも多々。

 

でも色々な出逢いがあり、

今では平日でも遊んでくれる人に恵まれて、

静かな山、静かな岩場で仲間とのんびりと遊べています。

 

これ以上ないほど、

周りにいてくれる人たちが好きだし、感謝しているし、

もう、全ての休みを皆と遊びたいって思っているんだけれど、

実際にはできません。

 

 

私は

一人で山にふらりと出かける時間も必要。

全て自分だけの責任で、全て自分だけに決定権があって、

振り回してしまう相手もいないから気兼ねなく山との対話を楽しめる。

山のなかで必死になったり、気を緩めたり。

 

こう書くと、皆を大切にしていないと思われるかもしれないけれど、

逆で、

大切にしたいから、時々一人で出かけているという方がしっくりくる感じ。

 

 

一時期、股関節障害がわかったころ

山はもう一人で歩ける範囲で無理せずに楽しもう、とすら思うほど、

人と歩くことに対しての自信がまったくなくなってしまった。

人に合わせて歩いて足の痛みが強くなったら・・

人と行ったら計画変更を簡単にできなくなる・・

 

人と行くということは

相手の『登りたい』という気持ちがついてまわることで

相手がたとえなんと思っていようと

自分はその気持ちを邪魔してしまうのは嫌だから、

絶対無理をしてしまうだろうと思っていた。

 

 

それでもいいんだよと声をかけてくれる人がいてくれた。

甘えていいよと言ってくれた。

自分が持ち合わせていない優しさだった。

 

その時から、私は周りの人に

『調子が悪い時はドタキャンをするかも』

『荷物を持ってもらえたら行けるかもしれない』

という我満をいうようになりました。

それでもいいという人と登ればいいやと。

 

その代わり、

自分も相手のそれを受け入れられるようになりました。

 

 

自分に絶対的なウィークポイントができて

初めてわかることが沢山あって

そのすべてが

年間100日とか山に入っていたころの自分では気づけなかったことばかり。

 

 

人生は面白い。

山は面白い。

そして人との繋がりは尊い。

 

 

けど近くにいすぎるとしんどくなってしまう時もある

大切にしたいから苦しくなってしまうこともある

うまく距離を保てずに離れてしまった人たちもいる

もう壊したいわけじゃないから

一人で山に行ってバランスをとる。

 

そうやって大切なものを大切にできたら

私は自分を好きでいられる。

 

自分が自分のことを嫌いになったら

ダメなんだって知ってるから

そうならないようにうまく生きていこうと思っている。

 

 

山があってよかった。

そしてこんなダメなところもある私を

大切にしてくれる友人、

山仲間がいてくれてよかった。

 

 

たまには一人旅もよい。