ミーハーVer.の『半分、青い。』編では、ロケ地として岩村を巡りましたが今回は私のいつものスタンスで…
古い町並みのこういった道標、好きです。『右 なごや』って書いてあります。
裏を見ると『安永八己亥』とあります。ググってみると西暦1779年。
徳川10代将軍 家治の治世。ピンときませんね
少し前に杉田玄白らが『解体新書』を刊行し、この数年後に天明の飢饉が起きた時代です。
徳川家治というより田沼意次が実権を握っていた時代といったほうが分かり易いかな
…この時代、教科書でも飛ばし気味でしょうか
岩村町は鎌倉幕府の御家人 加藤景廉とその後裔が治めた地域で、二代 景朝が地名から遠山氏を名乗ると長くこの地を支配します。
信濃・駿河・美濃国の国境付近にあった事から軍事的要衝と重要視され織田、武田、徳川と有力者の影響を大きく受けました。
江戸時代、松平家乗が岩村藩を立藩。戦国時代からあった城下町など領内の整備が行われました。二代 乗寿が浜松藩に移封となり、代わって丹羽氏信が二万石で入封します。元禄15年(1702)に丹羽氏音が御家騒動で越後に移封となると小諸藩より松平乗紀が新たに岩村藩主となります。以後、松平家が七代 乗命まで岩村藩を守り明治維新を迎えます。
現在は本町を中心に「恵那市岩村町本通り」として国の重要伝統的建造物群保存地区にしていされ、平成に入り電線地中化工事も済み益々昔ながらの街並みに近づきました。
江戸時代末期に台頭した商家 勝川家。現在は『半分、青い。』展が開かれていてドラマで使用した衣装や俳優・女優さんのパネルが置いてあり、奥の方は見る事が出来ませんでしたが江戸末期に建てられた家屋の中での展示は趣があります。
パネルで室内が観られない…
向かいには江戸時代染物屋を営んでいた土佐屋。
この庭、すごく好き 手前の水路は天正疎水といい、右の壁は隣家。
天正3年(1575)岩村へ入城した川尻秀隆が作った用水路でこの後の町割りに大きく影響します。
440年以上たった今も家々の下を流れ生活の役にたっています。
この奥には土蔵が建ち、脇には藍草が自生していました。
城下町らしく枡形が残っています。岩村城の防衛施設の一つで通りが鍵型(クランク)になり見通しを悪くし、周囲を土塁で囲い木戸や同心長屋が設けられました。
江戸中期から後期に栄えた問屋の木村家。元は三河の挙母藩の藩士でしたが丹羽氏信が岩村藩に移封となった事に伴い随伴しこの地に土着しました。
江戸時代後期には岩村藩の財政に大きな貢献をして問屋職、名字帯刀が許されます。
天保5年(1834)、江戸で起きた甲午火事により岩村藩の江戸藩邸が焼失した際には多くの金品を用立てして再建に尽力しました。その他にも水害、凶作などの救済事業でも尽力し、藩としても頭の上がらない商家だったのでしょう。藩主自身が幾度となくこの木村邸を訪れたと云われています。
領主が領民の家を訪れるのは異例です。
徳田新之助か これ分かる人は昭和世代
柱と梁の造形美が素敵。うっとりと見上げてしまう…。
奥にある蔵のなまこ壁。土間と土壁。日本の家屋ってかんじですよね。
つるべ井戸。まさにここは江戸時代。この場所も癒されます。
岩村の酒蔵 岩村醸造。
杉玉を下げる店構えは築約300年。過去に幾度となく受賞している酒蔵です。
車で来ていなければ呑んでましたね
これ、分かりますか 写真奥の店頭より写真奥の酒蔵までの役100m。家の中にトロッコの線路があるんです
今でこそ展示用となっていますが20年ほど前までは現役で酒や米の運搬に使われていたそうです
中庭には仕込み水でもある天然水を飲むことが出来ます。
明治2年(1869)、最後の藩主である松平乗命は版籍奉還により岩村藩知事に任じられます。明治4年(1871)、廃藩置県により岩村藩は廃藩。岩村県を経て岐阜県に編入されます。
岐阜県人なら知っている板垣退助の岐阜遭難事件。岐阜公園で板垣退助が演説後、相原某が板垣退助を短刀で襲った事件。
有名な「板垣死すとも自由は死せず」って台詞で有名な事件です。…何故急に岩村の話から板垣死す~の話になったか
岩村の城下町にある一風変わった薬局、水野薬局。
昔からの看板や医療器具などが展示してあるショウウインドウ。
明治15年(1882)、岐阜で襲われる数日前に板垣退助はここ水野薬局に宿泊したというエピソードがあります。
写真を見ても路面の濡れていない晴れの写真と傘をさしている雨の写真が混同していますが、この日は降ったり止んだりの本当に変な天気
みはらで五平餅食べているときは土砂降りで広報無線で「この地域に大雨警報が~」なんて言っていたらその数十分後には青空が… 傘をさしたり畳んだりと面倒でした
まさに『半分、青い。』ですか
…さて、ではいよいよ岩村城へと向かいましょうか…。
岩村城は女城主のエピソードとして有名です。
それにちなみ、岩村城下の家の軒先には青い暖簾が掲げてあり、その白抜きの部分にはその家の女性の名前が書かれています。
こういったところ、粋ですよね