常識の理由、言えますか? | 幸せよりも『生きやすさ』を求めよう。

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中学生の頃、学校のアンケートで

「何かあればお書き下さい」という所に

僕は何も書かずに空欄にして提出しました。

t後日、二者面談で、「〇〇くんだけだよ。空欄で出しているの」

「みんな「特になし」って書いているよ。」と言われました。

 

僕は「何かあればお書きください」の通り、

何もなかったので書きませんでした。

でも、先生にとっては、それが理解できなかったのでしょう。

 

大人になって、空欄にするときに

「─」や「なし」と書くことを知りました。

要は、「その質問を読みましたよ」

という意思表示になるからだと思いました。

 

 

当時は、「あなただけ周りの人とは違うよ、おかしいよ」

と言われたような感覚でした。

ちゃんとした理由を聞けば、「なるほどな」と理解して、

傷つかずに済んだと思います。

「みんなこうだから、あなたもこうしなさいね」

と言われるほど、辛いことはありません。

 

 

今は、異なることに対して、SNSで発信し、

それに賛否両論あるものの、必ず共感してくれる人がいるので、

それえが支えになっています。

また、それを仕事にする人たちも増えてきています。

狭い世界での少数の否定で傷つくより、

広い世界での多数の共感と多数の否定への無視の方がいいのです。

 

 

教える立場の人は、

「なぜそうするか」

「なぜそうなっているか」

を教えなければなりません。

理由なく、「それがそうなっている」ことは

ほとんどありません。

子供のときにそれを知っていれば、

大人になって生きやすくなります。

「これは安い」と買って、

後悔することもなくなるのです。

 

 

◆教師は、常識を教えるときは、

 必ずその理由を教えなければならない。 

 理由の言えない常識は、

 ただのその人の好み。