「時代」と「時代に生きている人」を批判しない。 | 幸せよりも『生きやすさ』を求めよう。

幸せよりも『生きやすさ』を求めよう。

幸せを求めると、不幸せとの比較が生まれる。

生きやすさを求めると、楽しくてしょうがなくなる。

その時代にしかないものがある。

 

 

『最近の若い者は』という言葉。
大昔から言われていたそうです。
世代が違うと、生きている時代も違います。
1990年代に高校生だった人と、

2000年代に高校生とはかなり違います。
その人たちにアドバイスするときに、

注意しなければならないのは、

多分自分がその時代に高校生であれば、

同じ考え方をしていただろうなあということです。  


私の高校時代は、

携帯電話やインターネットが当たり前ではありませんでした。
だから、今の高校生の気持ちがわかるはずがありません。
『今もし高校生だったら』という想像も、完璧ではありません。
今の状態の自分でしか考えられないからです。


上司と部下の関係でも、部下にアドバイスするときに、

「自分も若い頃は、こんなしんどいことがあって・・・」と言えるのは、壁を乗り越えたから言えるのです。
自分が同じその状況にいたときに、

「よく考えろ」というような

簡単な言葉で解決するのかを考えることです。
下の人は、だいたいは、その言葉よりも経験を積むことにより、

問題を解決していくことになります。
決して教え方が上手かったのではありません。
その時代ごとに、辛いことがあります。
自分が辛かった時代よりも辛いからと比較しても

何も生まれませんし、生まれるのは『優劣』だけです。
辛さというのは、比べるものではないのです。


人が「そんなこと気にするなよ」と思うことを毎日悩んでいる人、

人が「すごくしんどいやろうね」と思うことを

全然気にしていない人、様々です。
ポジティブな人が言う、

「私だったら気にしないけどね」という言葉は、

悩み相談をした人は「理解してくれないな」と思うのです。
『気にしないこと』ができないから、相談しているのです。
性格が違うのに、

「私はこうして上手くいったから、あなたもこうしなさい」というのは

押し付けです。


ある人が、

「自分自身、成長していないなあと感じる」と言いました。
そのとき私は、「下の人を注意したり怒ったりしたときに、

“自分もこういうことやっていたな”“自分も注意しなくちゃな

”と思っていない感じだったから」だと思いました。

そう思っていないと「自分はできている。当たり前だ」

と思ってしまいます。

謙虚さがなくなるのです。


以前に『今の気持ちは、今だけのもの』と考えたことがあります。
例えば、親が子どもの頃のことを伝えるときには、

少なからず加工が入ります。
人間の記憶はあいまいです。
でも、親が子どもの頃に書いたものというのは、

かなり気持ちが入っています。
そのときの気持ちを、

そのまま子どもが同じ年齢になったときに渡すと、

親子間・世代間のコミュニケーションにいいかなとふと思いました。
少し恥ずかしいですけどね。
「親もこんな時代があったんや」と思うはずです。


言葉で伝えるときは、伝えたくないことを省くことができます。
でも、日記や写真は、当時のまま伝えることができます。
それらは、気持ちに嘘がないからです。

 

時代を作っていくのは、その瞬間の大人たちです。

子どもだった人が、大人になり、

「こんなものがあったらいいな」を作っていっているのです。

大事なことは、その時代を理解することなのです。

 

 

◆時代と時代に生きている人を批判しない。