西嶋老師は1938年、昭和13年に旧制静岡高校に入学された。以下は老師にうかがった話。
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中学5年で一高を受けて失敗し、浪人して静岡高校に文科のトップで入学したのだが、入学後は成績を良くしようなんて気は消えていた。
1年生のとき1学期2学期と数学で100点を取った。及第点の平均60点は超えるので3学期は試験を受けなかった。
陸上競技と濫読に熱中し、3年で練習がなくなると学校をさぼって友だちと自転車で1日鮒釣りをしたりした。
子どもの頃から俗世間の基準で皆が夢中になっていること以外に本当の基準のようなものがあるのではないかと感じていた。
旧制高校ではそういう感覚に合う気風があり、
『馬鹿になる』
ということが言われていた。
世俗の価値観を捨てて、自分にとって頼りになるものを求める姿勢を意味していた。
自分は世間の立場から見たら実に愚かな生き方をしてきたと思う。
54歳のとき、後に永平寺管長となる丹羽廉芳老師のもとで得度(出家)した際、お願いしていただいた法名は、「愚道和夫」。
世間から見たら、愚かな道。
自分としてやりたい道を歩んできた。
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80歳を過ぎてから老師はしばしば
『ずいぶんわがままに生きてきましたよ』
と笑いながら言われた。
サラリーマンとして昼間は面白がって働き、麻雀、ゴルフと遊びもしたがやがて夜と休日を正法眼蔵の現代語訳にあてるようになり、22年かけて完成。
「現代語訳正法眼蔵」全12巻をほぼ私費で出版された。
自分で出版社を作り、何冊もの本を刊行する。
幹部に一人でタテついて転勤させられる。
東京に帰って、通勤電車で本を読みたいからと、遠いところに家を買う。
セールスマンから売りつけられた高額なカセットテープで寝起きに英語を勉強し、やがて多くの外国人の弟子を持ち、海外で講演を行うようになる。
『人がどう思うかということが気にならないんですな。馬鹿なんですよ』
私は、といえば、人がどう思うかだけに振り回されて生きているようだ。
老師の言葉を思い返すたび
「あなたもいいかげんに気がつきなさいよ」
と諭されているように思うのだが。