9月の6,7日と、西嶋老師の教えを受けた者らが集う「ドウゲンサンガ」坐禅会を一泊二日で実施した。
前も書いたように、西嶋老師が指導される坐禅会は約30年前から東京、次いで静岡の寺院で三泊四日で行われてきた。
この3年間は縁あって静岡県袋井にある秋葉総本殿可睡齋でお世話になっている。
http://www.kasuisai.or.jp/
僧侶を育成する曹洞宗専門僧堂でもあり由緒ある素晴らしいお寺である。
ご齊主、後堂老師をはじめ修業僧の皆さんも係の方もいつもたいへん親切でいらっしゃる。後堂老師の開講提唱は「法/ダールマ」についての深いお話で、西嶋老師にも言及された。また別の役僧の方は宗学大会等での西嶋老師の思い出などお話し下さり、心温まる思いがした。
まことにありがとうございました。

7日の昼過ぎに坐禅会が終わった後、たまたま同じ可睡齋で文化講演会が開かれた。
有名なテーラワーダ仏教の長老、アルボムッレ・スマナサーラ師のお話であった。
かつて講演を聴いたことがあり本も何冊か読んだので、今回も残ってうかがうことにした。
その語り口は、環境のせいか以前より吹っ切れたより自由なものに聞こえた。
以下は参考までにメモを抜粋します。

可睡齋は素晴らしい波動を感じるお寺です。
皆さん、このお寺でお茶を飲んだり、庭を見たり、横になったりすると楽しいでしょう。
でもお寺の人は塵ひとつなく掃除をしたり、いろいろ大変なんです。
なぜ皆さんが楽しいかわかりますか。
それは、しばらくいたら帰るからです。
自分の場所でないから、楽しいのです。
旅だから、やがて去るから、なにもかも自分のものではないから、楽しいです。
「わたし」と「わたしの」という考え方はともに間違いであり、法に反しています。
それらは実在しません。
歯を抜いたとして、それは「わたし」ではありません。
目玉でも、脳でも、どこをとってみても「わたし」ではありません。
ありもしない「わたし」を抱えて、苦しみを自作自演しているのです。
皆さんは神様に「合格させてください」とか「火事にあいませんように」とかお願いしますね。
ついでに「死にませんように、老いませんように」とお願いしてみたらどうでしょう。
けっきょくは「すべてを捨て去らねばならない」と釈尊は言われたのです。
備えあれば憂いなし、と言いますが、あれは嘘です。
備える、ということは環境に対して「構える」ということです。
構えるから、苦しい。
雨が降りたいというなら降ればいい。
病気になるならなればいい。
そう思えば幸せになる。
苦しみも訪れません。
備えなければ憂いもまたないのです。