オリンピックは人類の祭典が理念だという。
 

現実的、限定的にはスポーツ競技と郷土愛交歓の祭典といえる。
下部構造はマーケティングだ。
 

法的経済的合理不合理ではなく、考え方について考える。
最終意思決定者ないしシステムが、どんな事実や条件に基づいて判断をしているのか、わからないのだから。
 

東京オリンピック開催の背景が、自国他国の人々の生命健康より国の威信を重視する、というのであれば大東亜戦争でほぼ失敗したとみなせる考え方だろう。
 

地政学的な安定に寄与するため、という判断なら少し納得度は高まる。
日本は今、世界の中でホットな地域のひとつに位置している。
 

「アジアの世紀」にけるこの地域の先進民主主義大国であり、ヤバい国々とお隣どうし、世界最大の軍事力を持つ国と大海をはさんだ同盟関係にある。
緩衝要素ないしリスク先送りファクターとして、「平和の祭典」をここでやっておかねば、という。
 

今東京がパスすれば、人類のコロナへの勝利宣言は8ヶ月後に北京で行われることになり、G7&クアッドの価値観からは避けたいかもしれない。
 

さらに抽象度を上げると、奉納試合だ、という見方もできる。
人類の平和と平等という価値・フィクションへ捧げる祭祀
八百万の神々へ祈りを捧げる習俗を維持し、成り行きでまだそこそこ国力のある日本が、その役割を担う。
サライ世代には魅力的かもしれない。
 

その考え方に殉ずるなら、上限に近い感染対策を行い、限定された参拝者が見守る中で、聖火を奉ずるのは選択肢としてあり、ということになる。


東京都知事が女性なのは、この意味でも偶然の賜物かもしれない。