西嶋老師は、バランス、ということを繰り返し説かれた。

提唱のとき、よく手のひらを前に出され、右に傾けてみせ、左に傾けてみせ、最後にまっすぐに立てて見せながら次のようなお話をされた。

『人間は人間以上のもの、たとえば神様になろうと思って努力しても苦しくて仕方がない。

かといって、もうこのまま流されていこう、食べる眠る排泄するだけの動物のようでありたいといっても苦しい。

そのどちらでもない、普通の人間になること。

坐禅をすることで、神様でも動物でもない、バランスの取れた普通の人間になる。

当たり前のことが当たり前にできる。

人間社会の中に溶け込みながら、したくないことをしないで済み、したいことができる。

そういうバランスのとれた、普通の人間としての行いができることが、最高の幸せなのです』

端的にいえば、したくないことはしない、したいことをする。

それが当たり前で、普通なのだ、とおっしゃる。

(ちなみに西嶋老師の師である沢木興道老師は

 『せんならんことはせんならん。

  せんでいいことはせんでいい』

 とおっしゃったそうだ)

聞くたびに自分には深すぎるハナシだ、と思った。

通常は「したくないことをしなくてはならず、したいことができない。思い通りにいかぬのが世間というもの」というのが相場だろう。

たしかに、いつもそうとばかり思っていたら苦しい。

どだい今の平均的な日本人の生活は、過去と比べても他の国で起きていることを思っても恵まれていると言うべきで「強制と禁止」で常に抑圧されているわけでは全くない。

それでもサザエさんを見て憂鬱になることがあるのは、なんらかの抑圧の予想にかられるからだろう。

苦しみを生むことはしたくなくなる。苦しみから離れることをしたくなる。

そのように思えること。そのように動けるようになること。

苦しみを離れる中道の中に、思いと行いが収斂していくこと。

それが人間の幸福。

そういうことなのだろうか。

自分がしたことにも、しなかったことにも満足する。

そんな生き方。

今でもまだ想像するだけの世界だけれど。