以前書いたように、病に倒れられる直前の数年間、西嶋老師は古くからの弟子のGさんのはからいにより大阪で一泊二日で年に一度提唱を行っていた。私は毎回お伴として東京のご自宅から大阪の会場-ホテルの往復にご一緒した。

老師は主宰していた市川のドーゲンサンガを引き払ったあと、しばらく高島平に、その後は目白の公団住宅にお一人でお住まいだった。

お部屋に迎えに行き、90歳に近づいて足が悪くなった老師にゆっくりと1階に降りていただき、待たせておいたタクシーにお乗せする。東京駅に行き、新幹線を待って大阪へ向かう。帰りも同様。

その道すがらさまざまにお話をさせていただいた。


東京駅で、老師は何回かこうおっしゃった。


『日本は戦争に負けて、良くなりました』


それは、サービス業の質が上がったこと、輸送手段が使いやすい快適なものになったこと、エスカレーターやエレベーターが便利になったことなどを指しておられるようだった。


老師は191911月生まれ。19443月に東大から満州歩兵第一連隊に入隊され、19456月に本土決戦へ向け内地に送られ姫路部隊で終戦を迎えた。

その前は「自由、開拓、創作」とノートに印刷された府立第五中学(後の小石川高校)から一浪後静岡高校に文科の一番で入学。

旧制高校で陸上競技に熱中し、濫読にふける青春を過ごした老師は、反戦思想もなかったが軍国主義的にもなりきれなかったらしい。

老師の第2次大戦についてのご発言は改めて紹介したいが、たとえばこんなことを言われている。

『歴史の‘決勝戦’で、日本は負けたのです』

『降伏は常に無条件降伏です』

常に‘終戦’ではなく‘敗戦’という言い方をされた。


そして、私がお伴をして大阪に向かうときは、明るく清潔で整備された東京駅の新幹線ホームで、何度かこう言われた。


『戦争に負けて日本は良くなりました』


90歳に近い老人を見ても、ベンチを立とうともせず、道を譲ろうともしない若者や中年で込み合うプラットホームで杖をついて立ったまま、老師はそのようにおっしゃるのだった。


ある年、私は小さく折りたためる椅子を用意してお供した。

東京駅と、帰りに大阪駅行きのタクシーを待つときの2回、老師にお座りいただいた。

その年の暮、老師は病に倒れられ、大阪での提唱は行われなくなった。

出番を失った小さな椅子は、まだうちにある。