あけましておめでとうございます。

今日から仕事はじめ。

お正月は、落ち着いて坐禅と向き合い、かつ午前中からお酒をいただいてほろ酔いで過ごすという、まさにこのブログのタイトルそのままのひとときでした。

正月は休みの夜は藤田一照さんの「現代坐禅講義」を読んでいました。

この刺激的な本についてはあらためて触れたいと思います。

藤田一照さんは東大で心理学を専攻し博士課程を中退して安泰寺で曹洞宗僧侶となられアメリカマサチューセッツ州の禅堂で長年住持をつとめ現在は 独自の坐禅会を主催しておられる方です。巻末のプロフィールによると2010年からサンフランシスコの曹洞宗国際センター所長でもあるとのことです。

私は藤田師をNHKテレビの「心の時代」に出演されたのを見て知り、無所得の坐禅をただ坐る「只管打坐」を信奉する点で西嶋老師に近いものを感じ、また合気道愛好家で有機的な身体運用についても研究されている点にも関心がわき、以来「フォロー」してきました。

昨年末、朝日カルチャーセンターで行われた哲学者永井均さん、山下良道師と3人で行った「仏教3.0を哲学する」の鼎談も聴講しました。

FBでもメッセージを送って友だち申請し承認してもらいました。

FBを読むと、活発な発言と活動でどうもさらに「旬のひと」となられつつあるようです。

藤田師や南直哉師、ネルケ無方師、小池龍之介師、枡野俊明師、それに山下良道師もそうですが、近年、一般向けの仏教書を執筆して評判になるお坊さんは曹洞宗の僧侶が多いようです。その中でも代々の住職の家柄ゆえでなく、大学を出たあとそれぞれの意志で宗門に入った方が目立ちます。

家業として僧侶となり住職を無批判に継いだ人たちが往々にして無道心なことはつとに指摘されており、私自身は仏教宗派と関係のないサラリーマンですが、こんなことじゃ早晩世の中から見放されるだろうな、と思うお寺や僧侶を見聞きしてきました。曹洞宗のお寺も例外ではありません。

それでも曹洞宗宗門から著述家、論客が輩出するのは、世の中の坐禅に対する変わらぬ関心と、道元禅師のテクストの魅力、射程距離の大きさゆえではないか、という気がします。

去年の夏、私たちのサークルで講読した「正法元蔵 生死」より。

日常生活とは

「ただ生死すなはち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし」

坐禅とは

「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいへになげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれ仏となる」

宗教的/哲学的言辞の美しさ深さ、修行であり安楽の法門である只管打坐体験の稀有さ。

個人個人が自己の生をまさにそこからリアルに汲み出すことのできるのではないかと思える源泉。

それが私たちをとらえて離さないのではないかと思います。

深さはまちまちでも語りたくなるのだと思います。

「自未得度先度他」衆生済度を指向せざるを得ない真面目な僧侶の方々であればなお。

本年も酔禅の日々を細々綴っていきたいと思います。