また同じような話ですが。
先週の金曜、予定していなかったのですが友だちと銀座で会うことになり。
バーを2軒、それから大衆的なお寿司屋さんに行き。
全部で、ギムレット2杯(ローズのジュース、フレッシュライムで各1)、ワイン2杯(カリフォルニア、ローマ)、ビール、日本酒(獺祭冷酒)2本。
完全なる朦朧状態で帰宅。
朝目覚めると、それでもベッドに入る前に坐禅をしようとしたらしく、マットと坐蒲が出ていました。
なんとか起き上がり、シャワーを浴びます。
当然、二日酔いですが、年をとれば例の-キングスレイ・エイミスいうところの-精神的二日酔いに苛まれるわけで。
そして、坐禅。
『坐禅は習禅にあらず。安楽の法門なり。』
「普勧坐禅儀」で道元禅師がいわれています。
坐禅をしていると、なんとも言い表すのが難しい、幸福感と癒しが一体になった何かが自分の中にあらわれます。いや、来ていただけます。
体調が悪いとき-それが二日酔いという愚かさの代償、自業自得の極みであっても-のほうがはっきりそれが感じられるのが不思議です。
20年以上、毎日坐禅をしていて、坐禅は常に、新しい。
新しく、普通であり、素晴らしい。
そこで何か突飛なものを追い求めようとしてもうまくいかず、ただ坐るのみ。
上体を立てることだけ意識して、普通に坐っている。
まさに安楽の法門。
ありがたい慈雨。
ほんらい酒を飲むことは戒律に反しますから、私のようなのは仏道修行者とは言い難い。
しかし、人間の愚かさ、賢さ、思惟や概念操作をはるかに超えたところに、坐禅の「功徳」があるのかもしれません。
わが師をはじめしっかり坐禅をされている諸師のおっしゃることでもあります。
坐禅を終え、必死で残りの予習をして、正法眼蔵のサークルに向かった土曜日でした。
先週のサークルで、坐禅が初めてという方に尋ねられたときは、足を組まなくてもいい、椅子でもいいから、背筋をまっすぐ起こして坐る、自分の体内の感覚で上半身の軸が重力に沿って垂直になるようにする、と習ったことをお伝えしました。
やったその瞬間から。
続ければ続けるほど。
坐禅は人を思いがけないかたちで支えてくれる。
それが、いつわりのない実感です。
是非。
説得力ゼロかもしれませんけど。