昨日の日曜は朝10時からSetagayaで合気道の稽古。

午前の稽古は道場の空気もすがすがしい。

良い風が抜けるのですが、だいぶ暑くなってきたので汗ばみます。

稽古が終わった後は、始まる前と同じように、正座で一列にならび、指導者の

「胴着をただして、黙想」

の声で目を瞑り、息を整えます。

30秒くらいで

「やめ」

そして、正面に礼。

指導者によってはやらない方もいますが、この黙想は気持がいい。

「きょうやった内容を思い返す時間」

と説明する指導者もいます。

それもわかりますが、ただ坐るだけ、それで良い気がします。

静かに坐るなかで、何もイメージせずとも、ついさっきまでのからだの動きが身心におさめられていく感覚。

あるいは、今のこの身心に充足する実感。

毎日坐禅をしている身には、親しみのある「境地」です。

 

面白いことに。

曹洞宗国際センター所長の藤田一照師はかつてテレビで

‘合気道をしたあとは坐禅がうまくいくことに気がついた’

ということを語っています。

また日本アドラー心理学会会長の野田俊作先生は、かつて合気道をやっていたときに

「そこで運動がとてもいい瞑想状態をつくることを経験しました」

と著書『グループと瞑想』で述べています。

合気道と坐禅/瞑想は相性が良いようです。

合気道に限ったハナシではなく、運動、特に武道的身体運用に共通するのかもしれません。

ただ今の個人的見解としては合気道は特に瞑想と親和性が高い気がします。

これについては合気道開祖の言葉とあわせ、あらためて記載したいと思います。