6月3日(土)、Busseiにて。まず坐禅。

結跏趺坐で45分は終盤がつらいのですが、今日は足の痛みはそれほどでもなく、終わればすっきりした気分。

講読は前回に続いて、「16.正法眼蔵 嗣書」の2回目。

釈尊以来代々の祖師が、師から弟子へ、真実を得た証(あかし)として与えてきた書面について、道元禅師がその重要性を説かれ、ご自身が宋で見聞きした嗣書の実例を述べられた巻です。

 

西嶋老師の現代語訳第3巻、12ページから26ページまで読みました。

20代前半の道元禅師が宋の寺院を遍歴するなかで何パターンかの「嗣書」を見聞したエピソードが書かれています。

日本では見ることができなかった「嗣書」を拝見できた感動も語られます。

いっぽう宋の大寺院の住職にままにみられる不心得へのクレームも。

自分が将来「悟った、真理を受け継いだ(嗣法)ぞ」と名乗る材料として、大先輩の高僧に頼み込んでその肖像画(頂相ちんぞう、といいます)とお言葉がき(法語)をもらって隠しておく。

いざ年を取って、住職の位を金で買おうというときは、その方でなく、いまどき有名だったり大臣高官と仲良しだったりの長老から「嗣法しました」と名乗るヤツがいる、と。

『名誉をむさぼるのみなり かなしむべし』

『一類の狗子あり』

イヌみたいなやつらだ、怒っておられます。

もちろん犬が悪いわけではなく、僧侶どころか人間として間違っておる、というとき正法眼蔵で使われる言い回し。

名や利得を目的とした行いは、仏道にあらず、ときびしいのです。

 

講読後、こんな感想がありました。

「道元禅師はすごく細かく人の名前や場所や状況を再現されている。考えられないほどの記憶力の持ち主ですね」

たしかに。