僕が就職したのは1990年でしたから、その頃は定年が55歳でした。

 当時、50歳を超えた先輩は年を取って見えました。それに、打合せで寝ちゃう姿をよく見たり。あ〜50歳になったら、お年寄りだなぁと思っていました。

 その後、定年が60歳に切り替わりました。その頃、他部署から戻ってくる定年間際の先輩方が続きました。50代後半って、見た目からお年寄りだし、仕事のスピードも遅くて、何を話したら良いのだろう?と思いました。


 それから時間が経つ中で、今は多くの企業の定年が60歳、65歳までが再雇用になっています。その一方で、55歳前後で役職定年の企業も多いかと思います。


 僕はもう56歳ですから、昔なら定年です。
 50歳を過ぎてから、僕は自分が入社したり、若い頃に見た先輩方の姿を思い浮かべます。
 僕も白髪が増え、肌にシミが目立ち、若い頃とは明らかに違います。勿論、打合せでウトウトしたり、仕事がゆっくりなんてことはないですが、若い方からはうわ、55歳を過ぎたらお年寄りじゃんと、僕が思ったのと同じように感じているかもしれません。

 今の仕事は64歳が定年で、その先は1年毎の契約です。どこまで働けるか?は分かりませんね〜。アメリカ企業は人事の考え方が違います。役職定年や降格のような年齢によるミッション変更はありません。あるのは退職だけです。
 ですから、僕自身、どこまで頑張れるか?は分からないです。勿論、そこで仕事を終えるのか?は分かりません。
 親父は亡くなった75歳の時も仕事をしていました。お袋は78歳まで華道で働いていました。
 僕自身は今の会社で64歳以降も働くのか?他の会社に移って働くのか?未知です。ただ、未来を考えた時、仮に仕事を辞めても人生は続きます。やっぱり自分の可能性に長く挑戦し続けたいと思ってます。


アメリカ企業に移って感じること
 日本企業にいた僕は50歳になってから、定年退職に向けた研修を受けました。役職定年を迎えたら、仕事のパフォーマンスが落ちることが黙認され、代わりにお給料は下がっていく。そんな未来を感じながら働いていました。
 未来は転職だろうと思いつつ、55歳の役職定年?60歳の定年で考える?と時期を考えていました。


 自分自身を改めて考えた時、やっぱり定年に向けて、50歳からポジティブに評価されず、じわじわとお給料が下がって行く流れは楽しくなかったんだろうと思います。

 それでも、そんな経験がマネジメントとして成長する機会になったのはありがたいです。



 たまたまのキッカケがあり、僕は53歳での転職を決めました。
 アメリカ企業の方が僕の気質に合っているみたいです。それに過去とは違う仕事なので、仕事の中で受ける刺激が多いです。そして、仕事は年齢と関係ありませんから、若い技術者や海外の同僚と日々楽しく仕事をしています。
 昨日も学会発表の論文内容を確認して〜と若い海外の同僚からメール。今回はデータ提供だけですが、僕もメインで書いて発表側に回りたいなぁ。と言っても、マネジメントだから、それは他のメンバーに任せるだろうと思います。


 でもね〜
 USメンバーでも僕より年上と思っていた同僚に同い年が何人もいて。客観的には似たりよったりに見られてそうだなぁと思います😅


走るようになって良かったなぁと思います
 何歳まで今のように取り組めるのか?は分かりませんが、走るようになって良かったなぁと思うことが多いです。
 やはり、レースで競うランナーさんから刺激をもらいます。その多くは20代や30代なので燃えます!40代や50代だともっと燃えますが、やっぱり燃えることってスゴく刺激になります。
 年齢に関係ないからこそ、マジに戦えます。

 時に、おとされる鶏のように、首元をクイっと、そんな感じに若者に負かされる時もありますが、瞬間は負けても時間を掛けて追いつこうと粘る自分がいます。できるだけ頑張りたいと思います!

 何故、今、燃えるのか?には理由があります!


僕には血筋的な課題があります
 僕の父は「胃癌」「輸血性肝炎」「糖尿病」を患いました。そして、僕は親父と自分とを照らし合せながら、改善に取組んで来ました。
 「胃癌」は35歳の時にピロリ菌を除菌しました。未だに慢性胃炎ですが、変わりなく過ごせています。「輸血性肝炎」は肝数値が悪化しやすい体質を受け継いでいました。僕は走るようになった後、関数値が悪化しました。これは父と共通した弱点と気付き、オルニチンを飲むようになりました。今も普段から飲んでいます。「糖尿病」はたまたまながら、スロージョギングを通して、血糖値対策をしています。
 父から引き継いだ僕の弱点をどの程度克服できるのか?は分かりません。それに他にも課題があるかもしれません。本当は弱点があるのと同じように強みもあるはずですが、今までの所、見つけるに至っていません。

 同時に
 うちの血筋は比較的短命なようです。男性だと75歳が多いくらいかなぁと思います。
 と言っても、親父の弱点を改善したので、もう少し長く生きられるかもしれません。が、あと20年位で寿命が来ても良いように、今できることをしっかりやりたいと思っています。


僕は頭脳派です
 今もそうですが、常に新しいことを考えて、取組んでいます。僕の持ち味はアイデアを生み出す力です。元々は「設計」での特許出願に始まり、「新技術開発」「企画」などでアイデアを形にするプロセスを経験して来ました。
 マラソンも同じです。
 「疲労抜きジョグ」もそうですが、僕は何も知識がないので、常識とは異なるアプローチで取組んで来たのかもしれません。
 「面白い」「馬鹿げている」などと、言われそうですが、僕が得意で他の人と違うのはアイデアです。昔を超えられない時代が来ても、その時のベストを引き出せる努力を怠らないようにしたいと思います。


未来にやってみたいこと
 僕は45歳で走り始めた時、50歳で速く走れると良いなぁと思っていました。
 そんな僕ですが、50歳、いや55歳を過ぎた僕が目標にしたいことが3つあります!
 1つは2時間半切りに向けた手応えです。2つ目はマスターズ記録への挑戦です。3つ目は6majorsへの挑戦です。
 でも、3つ目は今すぐでなくて充分です。色々取り組みたいと思います。身近にUG田さんがいることも刺激になっていますね〜

 目標を達成できるのか分かりませんが、そこを目指して僕が練習していることがあります。
 それはガッツポーズと笑顔です!
 僕は1人でニコニコしながら、疲労抜きジョグやスロージョギングで走っています。また、いつもゴールした時のガッツポースを想像しています。


(いつもゴールの時はポーズを考えているようで、考えていないようで😅結局、両手を広げちゃうんですよね〜)