今日は珍しくマラソン以外の話です。

 僕は色々な時に驚かれることがあります。それは様々な顔を持っているからです。


 僕はこのブログでは「ランニングエキスパート」「パン屋さん巡りランナー」として書かせて頂いています。

 でも、例えば、本を書かせて頂いてますように、他のランナーさんとは少し違います。幸い?なことに、電子書籍ですから、他の方の力を借りずに仕上げています。(正直言いまして大変です)

 実際は、ランニングと違う「光学特許の出願件数が世界有数」という顔も持っています。(特許出願は200件を越えますが、マネジメントになってからはほとんど書いていませんから、今は世界一ではないかもしれません。)


 勿論、二人の子供の父親でもありますし、英会話が得意なおじさんでもあります。


 今週は新しい取組みとして、マスターズ記録にも取り組みたいと書きましたが、これからも新しい自分を見つけていけるように取組みたいと思っています。



 今日、紹介したいのは、発達障害などの気持ちや成長の障害をお持ちのお子さんをお持ちの方に向けたことです。



子供の頃の僕は発達障害でした

 子供の頃の僕は以前にも書きましたが、発達障害を持っている子供でした。生まれたのが2月でしたから、他の子供より小さかったですし、自分の感情を上手く制御できない子供でした。※病院等に行って診断された訳ではありません。当時は発達障害自体があまりなかったと思います。


 幼稚園年長組の秋だったと思いますが、平仮名は書けないし、右と左も理解していなかったんです。放課後の教室で、お袋が先生から色々言われている光景は子供の頃の少ない記憶の中の1つです。

 それからはひらがなやカタカナを何度も何度も書かされた覚えがあります。


 元々そんな子供でしたから、「周りの子供と合わせる」ことができなかったですね。

 成績表は毎回のように「授業中のおしゃべり」と書かれてました。幼稚園時代はいつも1人で静かにしていたのに、僕は小学生になって先生に褒められたのが嬉しかったんです。授業がスゴく楽しくて、周りの子に話し掛けちゃったんですよね。僕は授業のことしか話さなかったので、悪いと思っていなかったのが最大の問題ですね。反省しています。


 それに「生き物」好きで、学校から帰る途中は、たんぼにドブに汚れて家に着くのが当たり前のような子でした。これも反省です。


 とにかく理科や算数が大好きでした。多くの方が苦労されたと思う滑車、これは動滑車も含めて、大好きで、家で紐と滑車で色々なことを試してました。当時は色々考えたことや実験したことを日記に書いて、先生に提出して、コメントをもらうのが楽しみでした。(でも、運動はスゴく苦手でした)


 そんなことから、普通とは随分違う成人になったみたいです。

 ここで大切だったと思うのは、「褒めてもらったこと」だったと思います。日本は「怒る文化」ですが、お子さんによっては褒めることが大切ということですね。子供の立場としては、褒められてイヤという子はいませんよね。

※僕の場合は理科や算数に興味を持ちましたが、歴史が好きとか、地図が得意とか、お子さんの興味が大切なように思います。



世の中では他の方と違うことが大切だったりします

 高校生まではある意味「同じであること」が求められ、同じ試験を受けていきます。そんな中で良い結果を残せる子供が良い成績となります。

 元々は恐らく同じことができることを意識した教育プログラムなのたと思います。


 ところが、大学って違いますよね。

 大学生では理系や文系に分かれますが、いずれも自ら理論を考えて、組み立てて、実験で検証していきます。つまり、1人1人が異なることを求められます。

 他の人ができないことを実現したり、誰も知らないことの答えを見つけることになります。

 僕自身はまさに「研究」や「開発」という仕事の中で、ありがたいことに上司から「褒められ」て成長しました。そして、今では自分で取組むテーマを見つけて、楽しく取り組めるように変わって来ました。



 僕ほんの一例に過ぎませんが、子供の頃に育ちが遅いとか、心の成長に課題を感じられるを方もいらっしゃることと思います。

 それでも、「褒める」ことを通して、その子が得意なことを是非伸ばしてあげて下さい。そうすることが大切だと思います。

 そして、他の子にはできないことができる大人になっていきます。



 恥ずかしながら、海外でインタビューされた記事はこちらです。


 何の情報もないまま、突然のインタビューでした。勿論、英語だけですし、通訳さんもいませんでした。苦手の英語は40歳から勉強して、2013年頃には頭の中で日本語を考えることなく、話せるようになりました。