「フルマラソンのタイムを伸ばすなら」を再開しました。フルマラソンに向けて調子を上げていきたい状況なのに、アンラッキーなことに転倒しました。

 昨日は焦らないために「自分を信じる心」が大切と書かせて頂きました。そして、自分の可能性を信じて、痛みがなくなるのを待つしかないと思っています。

 そうなんです。良い時を乗り切るより、悪い時をどうやって乗り切るか?が非常に大切です。

 この今野に、故障を抱えていらしたり、ケガに苦しむ方に届けたい気持ちがあります。

 

 それは僕自身が2014年の疲労骨折で長く大会に参加できなかった話です。

 

 この期間、忘れもしないことがたくさんありました。

忘れられない思い①

 2014年夏は走る途中、信号で止まってから走り出すと右股間節(足の付け根)が痛かったんです。ネットで調べても症状が分からずに、当時の僕には打つ手がありませんでした。走り出して数分経つと痛みも消えるので問題ないかも、と甘く見ていました。

 この頃は週末の練習ですと、夏なのにキロ4より速いペースで走っていました。楽に走れるペースだと思っていました。いつもレースと同じ速さで走れば速くなると思っていました。

→走るスピードの幅を広げた方がより速く走れるんです

 

 

忘れられない思い②

 そんな時期に出会ったのが「ランニングで痛めた足を治すのはランニングしかない」という本でした。そして、TAKEアスリート鍼灸院にいきました。

 湘南国際マラソンの2週間だったと思いますが、TAKE先生から言われたのが「キロ7で走ってください」でした。

 信じられなかったです。少なくとも6分半でしょ!と抗議のメールを送ったのですが、返事がなくて。しぶしぶとキロ7に取組むことにしたんですね

→結果的にゆっくり走る効果で速く走れるようになりました

 

 

忘れられない思い③

 湘南国際マラソンを走るスタート前に、僕はロキソニンを飲んでいました。「これでトラブルに出会っても仕方ない」と心に決めていました。

 ですが、実際にゴールした直後に異変を感じ、足を前に出すことができませんでした。勿論、片足で立つこともできませんでした。疲労骨折でした。

→二度と大きな故障をしたくないと思いましたし、こうしてブログを書かせて頂く原動力になりました。

 

 

★忘れられない思い④

 11/3に疲労骨折した僕は12月はエアロバイク、1月はウォーキングだけで、2月からキロ7の疲労抜きジョグを始めました。

 確か1/31に短い距離でペースを上げたんです。4:30/kmで走るのがやっとでしたが、僕はここから大きく変わりました。11月は走れなかったキロ7が、この時はキロ7で走れて満足てした。

→キロ7でも走れることが嬉しかったです。

 

 

★忘れられない思い⑤

 キロ7で走った僕は2月後半のさいたまシティハーフを走ろうと臨んでいました。抑えて走りましたが、後半はペースを上げて、キロ4で走る自分がいました。

 古河はなももを走りたい気持ちが強まり、でも、キロ7で走りました。最後に走ろうと決めた後、大会5日前に転倒。顔から落ちて、膝を強打。歩くどころじゃありませんでした。

→ホントにガッカリしましたが、今の僕があるのはこの転倒があったからです。

 

 

 結局、僕は疲労抜きジョグだけを重ねて、早めに申し込んでいた春日部大凧マラソンを走り、湘南国際マラソンでのリベンジを決めて、距離に自信を持たせようと丹後ウルトラに臨みました。

 そして、湘南国際マラソンは目標が2時間55分の自己ベスト更新でした。以前が4:05/kmで30kmまで走るプランでしたが、もっと速いペースで2時間46分でゴールでした。

 この年は湘南国際マラソンが12月開催になった最初の年でしたから、リベンジまで随分時間がありました。距離走をやっていませんし、ハーフマラソンなども走っていませんでしたから、本当に驚きました。

 でも、「信じる心」はあったように思います。

 苦しく長いトンネルでしたが、湘南国際マラソンで輝くことだけを考えていました。

 

 是非、故障やケガに悩む方々にも焦らずに、コツコツ積み重ねて頂いて、復帰を目指して頂けたら嬉しいなぁと思います。

(昔のブログ内容は自分目線で読み返したくない面も多いのですが、機会がありましたら、ご覧下さい)

 

 

(春日部大凧マラソン2015年のゴール手前。まだ色白でした)