苦渋の決断 | オレママのブログ

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気ままに言いたい放題
ごくごく私的な備忘録です。

月曜の夜、母が救急搬送され


日付が変わって入院が決定



その時、様々な検査の結果


急性胆管炎と診断がつき


内視鏡による処置や


予後のリスクなどを


インフォームドコンセント



沢山の書類に署名を求められ


その中には


万が一心肺停止になった際の


心肺蘇生をはじめとする


人工呼吸器・生命維持装置の


処置をするか否か含まれていた




救急搬送され入院になるかも


は、ぎり想定していたけれど


内臓疾患の治療は想定外で



更に、心肺蘇生云々なんて


全く考えてもいなかった姉と私



担当医師から


短時間で決められる事では

無いかも知れませんが

どちらかを選んでいただき

署名をしたら

担当ナースに渡してください


と、家族談話室みたいな所に


2人残された私たち



どうする⁉️と顔を見合わせた



そんなに悩んでる時間は無い



私は、少し考えた後


同居していた義両親が


それぞれ入院した際


旦那さん、義弟と話し合い


どちらも心肺停止になったら


蘇生はせずに自然に任せるとし


看取った話をした上で



"私は脳死の状態になったら

 胃瘻や人工呼吸器などの

 生命維持の処置は受けないと

 決めている

 意思の疎通も出来ずに

 沢山のチューブに繋がれて

 ただ生かされるのは絶対嫌

 お母さんはどうか聞いた事ない

 だけど、きっと同じだと思う"


つまり、NOの意思表示をした



それに対して姉は


"母が死にたいというのは

 口癖みたいなもので

 本心では無い気もする

 私たちが決めていい事なのか"


と、明らかに迷っていた



姉が迷うなら


YESでもいいと私は思った



更に逡巡していた姉


"〇〇(私)がNOでいいなら

 私もNOかな・・・"


と、迷っていたけど



"お母さんの生命力は半端ない

 今回の事では亡くならない

 と信じてサインしよう"


と言ったら


姉も納得してサインを書いた



いつか訪れる母との別れを


姉はまだ覚悟できていない


と改めて感じた



私は、逆に冷たいくらいに


覚悟できていると


改めて自覚した




常々、母は


"やりたい事は全部やったし

 行きたい所にはほとんど行き

 我が人生に後悔なしだわ"


と話してきた



生まれ育った満州で終戦を迎え


命からがら引き揚げて帰国


貧しさに対する差別や


働く母親への偏見に晒され


数々の大病を患いながらも


山中湖に別荘を建てて


余暇を大いに楽しみ


趣味のものを買い集め


国内外を飛び回って


ライフワークである仕事に


80歳まで関われた母



中国からの船の中で


失くしたかも知れない命が


90歳まで長らえたのだ


今、急変して亡くなっても


きっと思い残す事は無いと


私は確信している



私も、人生に悔い無し❗️


と思えるように生きたいわ