12月16日(水) | 元木昌彦の「編集者の学校」

元木昌彦の「編集者の学校」

「FRIDAY」「週刊現代」「オーマイニュース」など数々の編集長を歴任
政治家から芸能人まで、その人脈の広さ深さは、元木昌彦ならでは
そんなベテラン編集者の日常を描きながら、次代のメディアのありようを問いただす

 明治学院大学の授業を終えて、上野へ向かう。

 5時に池之端の鰻屋「梅川亭」。今晩は、立川談志師匠の「限定・談志の噺を聴く会」が開かれるのだ。
 嵐山光三郎さんもすでに来ていて、テレコムの岡部さんと話している。
 大広間をぶち抜いて、座椅子が80並べられ、前方には舞台があり、そこには高座がつくられていて、主を待つだけになっている。
 早い人は5時過ぎから見え、最終的には、席は一杯に。
 最後は、山本容子さんとミッキー・カーチスさん。
 心配していた立川談志師匠も6時前には来てくれて、ほっとする。
 しかし、顔色は土気色で、足下はフラフラ。声にも元気がなく、1時間の高座をやれるのか、正直心配。
 惚けてきて、すぐ忘れちゃうんだと、何枚ものメモを見ながら、直前まで覚え込もうと、真剣。
 6時半過ぎ、弟子2人に支えられ、痛い足を引きずるように高座に上がる。
 私は一番後ろで、しかも耳が聞こえにくくなっているので、ぼそぼそ話す師匠の声はよく聞き取れないのだが、次第に声も大きくなり、かつての立川談志に変身していく。
 小咄、ジョークを30分程度。短い噺をやり、本人の口から、「芝浜」をやろうと思うといったときは、場内、一瞬静かなどよめきが。
 酒飲みの魚屋が、芝の浜でサイフを拾う。それを猫ババしてしまおうというのを、カミさんが、夢を見たんだよといってごまかす。仕方なく仕事に精を出し、店を構えたある年の大晦日の夜、番所から戻ってきたお金を、亭主に訳を話してそのカネを返すという12月になると毎年聞きたくなる噺だ。
 一昨年、読売ホールでやったときは、あまりの見事さに、演者も観客もしばらく動けなくなったという伝説の噺。期待は高まる。
 しかし、話の途中で、彼なりの解釈を入れながら演じるのはいつものことだが、気力がついていけないのか、最後の下げまで一気に行くことができない。
 本人ももどかしいのか、何度も、これが最後の高座になるかもしれないよと言っている。
 しかし、8時15分過ぎまで、控えさせていた立川志らくさんの助けも借りず、一人でやり抜いた。
 師匠が頭を下げたとき、思わず涙が出た。
 終わって、師匠に「ありがとうございました。」と言いに行ったが、さすがに疲れきったのか、肯くこともできないようだった。
 あとは、鰻を食べながらの歓談。
 皆ほとんど帰らず、談志という最高の落語家の噺を聴いた感動に酔っている。
 また桜の頃やろうね。大林宣彦監督の言葉に、師匠は少しだけ肯いた。
 これからまた、高座に上がれるようになるのかどうか心配ではあるが、たとえしゃべれなくても、高座に寝ているだけでもいいから、談志を見たいというお客がいる限り、何とか人前に出て来る気力を取り戻してほしいと願う。
 嵐山さんと「よかったな」と握手して、川崎嬢と二人、上野の場末の酒場で焼酎のお湯割りを呑みながら、ほっと一息ついた。