芸能人たちが絡んだ検察庁法改正問題を考察してみる | 超絶メタアナリシス

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☆☆☆ 都心(台東区)在住です ☆☆☆

数日前のことですが、検察庁法改正問題がネットを騒がせましたね。

 

昨日の夕方のニュースでもあらためて取り上げられておりました。

 

知らない方に簡単に説明申し上げますと、「#検察庁法改正法案に抗議します」というハッシュタグを付けて、たくさんのツイートがネット上を駆けめぐったんです。

一部の芸能人・有名人たちもこの意見にくみしていました。

俳優の城田優さんに演出家の宮本亞門さん、ラサール石井さん、元アイドルの小泉今日子さんに秋元才加さん、それから、ひらがなけやきと共演したことのあるきゃりーぱみゅぱみゅさん(私が参戦したレポ記事は→コチラ)、などなど。

 

 

 

しかし不評なのが大半で、「何もわかってないくせにー」などと、多くの一般人に非難されていました。

きゃりーぱみゅぱみゅさんなんか、非難・批判を受けツイートを削除する始末。

 

 

 

さて、この問題の議論の焦点というのは、ネット上での議論に参加している人たちの間においては、どうやら”三権分立”だったみたいです。

検察庁法改正によって”三権分立”が侵害されようとしているか/いないかが、ことの焦点だったよう。

そこで、私もこの問題(”三権分立”の問題)について考察してみました。

以下にその考察結果を書いてみたいと思います。


そもそも”三権分立”って何かというと、政府の力を弱めようというのが狙いです。

政府の権力が強ければ強いほど国民の自由度は減っていくおそれがある...

政府の権力の強さと国民の自由とは、反比例の関係にある...

だから、政府の持つ力を弱めることで国民の自由を確保していこうというのが狙い、なんです。

したがって、三権分立にこだわって議論できるのは、自由を何よりも大事なものだと考える自由主義者(リベラリスト)だけなんですよね。


しかし、大部分の日本人は自由というものを軽視しているわけでしょう?

3日前のこのブログの記事に書いたように、大部分の日本人の価値観は人命至上主義ですよね?

 

「人命 > 人命以外のもろもろ(自由もココに含まれる)」...

これが大部分の日本人の頭の中にある価値観なわけだ。

しかし、”自由主義”というものは、自由というものを人命よりも優先する価値観のこと。

「自由 > 人命(ひとの命)」...

コレコレ!、この考え方なんです、自由主義というものは!


この考え方は、日本とは歴史が異なる欧米社会から生まれた価値観なわけで、その起源は今から約2千年前にさかのぼります。

そう、イエス・キリストの十字架上における”死”がその起源です。

イエス・キリストは、約2千年前、現在のイスラエルの地で、当時の社会の常識とは異なる思想を考えつき、言いたいことを言いたい放題言って、それを広めようとしました。

しかし、このイエスの活動を危惧した当時の支配者層(ユダヤ社会のエリート層とローマの官憲)によって捕らえられ、尋問を受け、圧力をかけられて、変えさせられようとしました。

 

それでも彼は考えを変えず、主義・主張を曲げることなく、おのれの意志を貫きつづけ、とうとう処刑されてしまったわけです。

この事実は次の2つのことを意味しています。

思想・良心の自由 > 人命 … ①
言論・表現の自由 > 人命 … ②

わかりやすくいえば、「イエス・キリストの十字架上の死」とは自由の象徴(シンボル)なんです。

”命”を捨ててまで思想と言論の自由を優先させた生き様(ざま)、これがイエスの生き様でしたから。

この発想がキリスト教の広まりとともにヨーロッパ全体に広まっていきました。

イエス・キリストの十字架上の死を起源とする「自由 > 人命」の考え方は、その後、初期教会時代に殉教者を多数出すことによって増幅され、カトリック教会によって作られたミサと聖人認定のシステムによって風化されることなく維持され続け、さらには、スイス・オランダ・イギリス・フランス・アメリカなどの国々おいて、自由を求める独立戦争や革命につながってゆきました。

ちなみに、ミサとは、イエス・キリストの死の直前の「最後の晩餐」のリピート(繰り返し)ですし、聖人とは、殉教者(=信仰の自由をみずからの死をもって貫いた者たち)の行為をいつまでも風化させずに記憶にとどめ続けるシステムによって認定された者たちのこと、です。


その後の歴史をつづると、スイス・オランダ・イギリス(植民地であるカナダやオーストラリアやニュージーランド含む)・フランス・アメリカなどの国々は、第一次・第二次の両世界大戦に勝利をおさめ、勝ち組となります。

これらの国々は”西側自由主義陣営”とも呼ばれます。なぜなら、東のほうにまだ抵抗勢力がいたからです。

しかし、20世紀後半の冷戦とその結果において、ベルリンの壁が壊され、ソ連と東ヨーロッパの共産主義政権が倒れて”西側自由主義陣営”が勝利をおさめることで、彼らが国際政治を主導する勢力となります。

以上の結果、「自由 > 人命」の考え方は、現在の地球全体をおおう考え方となりました。

これがおおまかに言うとリベラリズム(自由主義)の歴史です。


日本においても、明治維新後、ヨーロッパをお手本とする国づくりをする過程で取り入れられてゆきました。

言論の自由(②)は、大日本帝国憲法の第29条にすでに定められています。

さらに戦後、「自由の国アメリカ」が作った現行の日本国憲法において、思想・良心の自由(①)が日本国憲法19条で、言論・表現の自由(②)が日本国憲法21条で、それぞれ定められています。

日本は、形式上はやっぱり「自由の国」なんです。

しかし実態はそうではない...

”自由”という観念を正しく理解していない日本人は多い...

欧米の歴史の中から生まれた”自由主義(リベラリズム)”とは、ただ単に自由を尊重したり,自由を愛することではない...

それは、人命よりも自由を優先させる考え方の事なんです。

 

たとえば、フランス革命では、ルイ16世と王妃マリーアントワネットをギロチンにかけて首を飛ばし、殺しました。この2人が圧政をしいて、フランス国民の自由を侵害したからです。イギリスの清教徒革命では、おなじくイギリス国王チャールズ1世の首が飛びました。

 

1914年に起ったサラエボ事件ではオーストリア皇太子夫妻が銃で殺されました。なぜなら、彼らがセルビア民族の自由と独立をジャマする圧政の象徴だったからです。

まさしく、欧米の歴史において、「自由 > 人命」の考え方が昔から実践されきたわけです。

このように、”リベラリズム”とは、実は、血なまぐさいものなんですね。

ここのところがよくわかってない日本人が多いです。中学や高校の歴史の授業でいくら習っても、ピンと来てないんですな。

なぜかというと、日本人の頭の中では人命最優先の考え方が暗黙の了解事項になってしまっているからです。

 

だから、人命よりも大事なものがあるなんて考え方や、そんな考え方をする人がこの世にいるなんて、”夢”にも思わない...

したがって、中学や高校の歴史の授業で習うことが正しく身についていない...

そうですよね?...


話しを戻すと、人命最優先を価値観とする多くの日本人にとって、三権分立なんてそもそも関係ないんじゃないの?、と思います。

三権分立をなぜするかというと、”自由”の確保のためですよ?

でも、多くの日本人にとって、”自由”なんて、優先度の低~い、どうでもいいことのはず。

 

「命をとるか、それとも自由を取るか?」と問われた場合、前者を取る日本人が99%でしょ?

だったら、三権が分立しようが、集中しようが、そんなことはどうでもいいことのはずで、国民の生活と命を守って一般庶民が平和に暮らせる政権であるならば何だっていいはず。

日本人の気持ちをくんで、多数決を取って決めるならば、そう結論が導かれるはず。

私が過去に読んだ本(↓)によると、たとえば江戸時代なんか、おおむねそうだったようです。

 

 

 

 


十両盗めば死刑になったり、犯罪者はさらし首になったりもする反面、犯罪を犯さず、お上に逆らいさえしなければ、お伊勢参りや草津の湯につかりに行ったり、浮世絵や歌舞伎を楽しんだりもできたり、首都である江戸では水道さえ無料で(不動産所有者のみからの徴収だったよう)利用できたようです。

 

一般庶民でも娯楽を楽しめ、50歳で楽隠居できる余裕がある社会が江戸時代、だったみたいですね。

 

もちろん江戸幕府は三権分立なんかしていないです。

だから、私は、今回の件で騒ぐこと自体、おかしいんじゃないかと思いましたね...
 

 

 

 

 

 

P.S.

私自身はクリスチャンなので、これでも自由主義者のはしくれ(といっても自由を無制限に追求することには反対でブレーキをかけるべき派、→過去の参考記事、ですが)です。

 

なので、自分自身に関係ある問題としていろいろと調べてみました。

 

すると、こんな情報が...

 

 

なんてことはない、民間でも行なわれている定年再雇用の問題を公務員にも適用しようという試みのようですね。

 

騒ぐほどのことは何もないみたい。

 

”幽霊の正体見たり枯れ尾花”、という感じかな...