昨日の記事は、秋元康氏の良いところを書きましたが、今日は悪いところを書こうと思います。
12/12のこのブログの記事に書いたように、”秋元康”とは、放送作家です。
本来、プロデューサーでもなければ、作詞家でもありません。
プロの作詞家とは、故・阿久悠さんのような方で、この人の書いた『津軽海峡冬景色』なんか、傑作だと思います。
その歌詞の内容はポエムであって、一幅の屏風絵のようなもの...
抒情感と最後まで読んだ後の余韻がとても素晴らしいです...
一方、秋元康氏の書いた歌詞は、その短い中に、無理無理、”起承転結”を詰め込んで物語にしようとしているようなものだといっていい...
なぜそうなるかというと、秋元康氏とは放送作家だからです。
だから、習性上、どうしても物語にしようとしてしまうんですね...
ひとことで言えば、故・阿久悠氏の作詞は韻文、秋元康氏の作詞は散文と言えましょうか...
この「短編物語性」がAKBの成功要因であるということは、12月12日のこのブログの記事に書きました。
これが、今までは、結果的に良い方向に出てきました。
しかし、放送作家というものはしょせんは短編物語しか書けないような人種です。
秋元氏には、長編小説を書く能力は無いんです...
ここのところが、これまでのAKBの歴史上、多くのファンをやきもきさせてきたところです...
「物語をしっかりとつむげ」という声がたくさん挙がってきたにもかかわらず、そのように取り組もうとしなかった...
それは、能力が無いからです...
出来ないものは出来ないんです...
というよりか、おそらくは今までの人生で一度もやったことがない...
長編のドラマを作成するという仕事を、やったことが無いのでは?
マジすか学園も、乃木坂の初森ベマーズも、1話完結型で、それをつなぎ合わせただけじゃないですか。
もっと言えば、最新の『マジすか5』は良き物語になってましたか?
イマイチだったんじゃないですか?
それは、秋元康氏は、長編物語が不得意だということを示します。
AKBの歴史を作っていくうえでも、同様です。
長編小説的に構成していくような仕事は、秋元康氏には出来ないんですね...
だから、その時ゝの状況をふまえたベストの短編を、次の物語として用意するしか能がない...
それが今のAKBの状況になっている...
いわば、氏の放送作家としての性質は、”もろ刃の剣”...
短い歌詞に起承転結をギュッと凝縮した名曲や、1話完結型のシリーズドラマ、各種のサプライズを企画する際には、プラスに働く...
しかし、グループの長期戦略を立てなきゃならない状況や場面では、お手上げ状態になり、マイナスに機能する...
こういうわけですね...
了