本当の読譜力とは何か | 成人してから始めたピアノ

成人してから始めたピアノ

大学生になってからクラシックピアノを弾き始めました。大人になって始めたからこそ味わう充実感や苦悩について、皆さんと共有していきたいです。

先日の投稿でもお伝えしていた、ピアニスト安並貴史さんのレッスンに行ってきました。

 

 

ドホナーニの「4つの小品 Op.2」から 第3曲「間奏曲」を見ていただきました。

ドホナーニ自体があまり取り上げられることのない作曲家ですが、彼の研究で博士号を取得した安並さんのレッスンを受講できたことは本当に幸運に思います。

 

Op.2-3を弾き始めてから3か月も経ちますし、現在師事する先生にも聴いていただいており、自分の中での表現がそれなりに確立してきた段階でのレッスンとなりました。

それなりに自信を持ってレッスンに臨んだつもりでしたが、どうやら私が感じていたイメージは「ドホナーニらしさ」や「ハンガリーらしさ」からは離れたものだったようで、、かなり大きな方向転換が求められました。

 

「楽譜をよく読む」ということの意味、自分なりに頑張っているつもりでしたが不十分でした。読み取った情報をどうやって表現に落とし込むのかを、作曲家ごとのカラーに合わせて考えなければならないのだ、と強く思いました。

そして楽譜に書かれていないことを推測する力。経験値も必要なのでしょうが、多方面から音を捉える視点が不足していたこと、表現方法の選択肢が少なかったことに気づかされました。

 

「こんなのドホナーニじゃない!」とは言われませんでしたが、たぶんそう思っているんだろうな…と感じられることが多々あり、切腹したい気持ちになりました…笑

が、良い意味で鼻が折られた気分です。自分がどれだけ未熟であるかということを再認識できました。

また、クラシック音楽を勉強していくうえでは、やっぱり王道の作曲家について勉強していくことに意義があることを痛感しています。マイナーな作曲家を掘り起こすのも楽しいけど、そればかりになると伝統的なクラシックの音楽観が育たないまま、独りよがりな演奏に終わってしまう気がしました。

 

今年上半期は、もう少しドホナーニと向き合ってみようと思います。

どんな仕上がりになるかはまだわかりませんが、、、できることをやっていきたいです。

 

 

レッスンへ行く直前の演奏は、インスタに載せることで成仏させておこうと思います…。