ラブホに助けられた話 | 備忘録以上、評論未満。

 

 

 

 

 

 

実際にどんなふうに

 

金沢市内のラブホテルが

 

避難所指定から除外されているのか

 

わたしにはわからないので

 

なんとも言いようがないが

 

この記事内容といまの時期とが

 

妙にリンクして

 

思い出したことがある。

 

 

 

2011年3月11日。

 

いまから13年前のあの日。

 

わたしはインフラが停止した

 

池袋駅にいた。

 

会社に戻ろうとしていた

 

地下鉄(丸ノ内線)のホームで

 

あの巨大な揺れを食らった。

 

ホームを支える巨大な柱が

 

グラグラ揺れるのを見て

 

そこら中で悲鳴が上がった。

 

しばらくは改札機の近くで

 

待機していたが

 

そのうちJRからの指示で

 

駅舎内にいた人々が追い出され

 

まるでマグロの回遊のように

 

群衆が池袋駅の周囲を歩き続けた。

 

あれ上からみると凄かったかも。

 

テレビで中継されたこともあって

 

埼玉とか千葉とか群馬ナンバーの連中が

 

車で来て走りながら写真を撮っていた。

 

指差して笑いながら。

 

みんなムカついてたよ。

 

あまりの寒さで

 

こりゃ歩いて帰宅するより宿だなと

 

携帯でかみさんにメールし

 

急いで池袋西口のラブホ街に走った。

 

東京ターミナル界隈で

 

ラブホ街と言えば

 

池袋西口

新大久保(新宿)

道玄坂(渋谷)

 

この三つ。

 

最初はネットカフェを考えたが

 

すべて「満員」の二文字。

 

ビジネスホテルもしかり。

 

そうなるとラブホしか選択肢がない。

 

西口を出てラブホ街に向かっていると

 

同じような面々がいた。

 

スーツを着て単独で早歩き。

 

間違いない。

 

ライバル(笑

 

こりゃ部屋の取り合いかと

 

わたしはタッタッタと走り始めた。

 

すると近くを歩いていたスーツ男性も

 

急に走り始めた。

 

そのとき

 

(部屋が取れるといいよね)

 

って感じで

 

互いの顔を見たね。

 

いや

 

(負けねえぞ)

 

だったか?

 

 

四つ目のホテルで

 

なんとか部屋が取れたが

 

わたしの前に電子パネルで

 

部屋を選んでいたカップルが

 

四人の会社員風の男性が

 

息を切らしながら

 

後ろに並んでいるのを見て

 

クスクス笑っていた。

 

わたしが選んだ部屋は

 

狭い空間にSM器具がたくさんある

 

そういう趣向の部屋だった。

 

そういう趣向の人じゃない。

 

そこしかなかったのだ。

 

一晩中揺れがひどかったが

 

そのたびに

 

垂れ下がった鎖がチャリチャリ鳴り

 

ほとんど眠れなかった。

 

でも

 

高知東生さんのコメントじゃないが

 

「お風呂」に入れたのは

 

ありがたかった。

 

ラブホのお風呂は大きいし

 

光ったりバブルが出たりとかいう機能は

 

この際どうでもいいんだが

 

あの日は

 

お風呂に入れたってことだけで

 

ありがたかった。

 

 

 

能登半島地震の復興は

 

まだこれからだが

 

人生を続ける上で途方に暮れる人が

 

一人でも減るようにと

 

ずっと願っている。

 

微力ながら

 

能登を応援したい。