昨夜、母が亡くなりました | 藤沢あゆみオフィシャルブログ Powered by Ameba

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作家。著書29冊。相談30000件超。ananによる信頼できるカウンセラー20人の1人。NHKEテレハートネットTV出演。2023年4月「バズる!ハマる!売れる!集まる!WEB文章術 プロの仕掛け66」発売9日で増刷、7月18日枚方蔦屋書店で101人講演会開催

藤沢あゆみです


昨夜、母が亡くなりました。
これから、実家に帰ってきます。



今年に入ってから
がんを再発し
もう、手術はできなくて
抗がん治療が始まりました。


家族も、本人もすごくショックだったと思いますが
入院しないで闘病できるなんてしあわせ
みんなが愛で支えてくれてるから
私のできることをするわ


そういって、発病前よりもりもりご飯を食べたり
おいの服を2着も仕上げたり


わたしにも頻繁に電話をくれて
今日も元気だよと伝えてくれました。


家族は母をいたわり
みんな優しくなりました。


最近電話がかかってこなくなり
姉から、いつ入院してもおかしくない状態と聞いていました。






7月7日。
100いいね振り返り会でセミナー会場に入った時
姉から電話がありました。


「おばあちゃん、救急車で運ばれたよ、
もう会えないかもしれないで」



正直、その状態でセミナーをするのは
ちょっときつかったけど


ひとりだったらどうだったでしょう。
みんなといて、わたしは救われました。



100いいね振り返り会の最後が
七夕の笹を神社に奉納するなんて


母が元気でありますように。
わたしは、手を合わせました。





その日の深夜、実家に帰りました。


父は翌朝でもいいといいましたが
ひとりで寝られる感じがしませんでした。


8日のお昼に母に会いに行きました。
ガリガリでしたが
とても穏やかで
帰ってきたことをただただ喜んでくれて
力強く手を握り返してくれて


少しでもエネルギーが伝わりますように
長い時間ハグをして
母は涙を流していました。






親が元気なうちにこうしておきたい
ああしておきたいって思いますよね。



できなかったことばかりです。


でも、目の前にいる母を見た時
いてくれるだけで、そしているだけで
その存在に価値があるってこういうことだって。
心の底から分かりました。


いい子でありたい。
いい親でありたい。
それは、あなたがあなたであることだよ。
それが、家族のしあわせだよ。



会いに来て良かった。
会いに行って喜んでくれた。


7月からは毎月帰る時間を作ろうと
思っていたところでした。





そういえば母は、ある時
これから毎日電話することにした
といったことがありました。


自分がもう長くないこと
感じていたのかもしれません。



母は、自分は全然稼いでないと
還暦になるまでいい続けました。


そんな気持ちは、心を病むとなる病気を
引き起こしたかもしれない。


だけど世の中に価値を生み出したい
そんなマインドをわたしも受け継いでいて
わたしは作家になれました。


母は、亡くなる間際まで
書を書いたり、ニットを編んだり
物を生み出し続けました。



編み物、刺繍、縫い物。
あらゆる手芸がバリバリで
書道は70歳から習い2段の腕前でした。


うちには母の作品がいっぱいです。





わたしは何も生み出してない
そんなことないよ。
絶対そんなことない。



わたしが母のことをLINEやメッセで伝えたら
みんなひとりでだいじょうぶってメッセージくれて
今から行こうかって言ってくれたり
お葬式に行きたいって言ってくれたひとたちがいました。


びっくりした。
友達の遠方の実家の家族の葬式に参列したいって
わたしは言えるだろうか。



わたしは・・・
これって危篤状態だよねという電話をもらっても
仕事に穴を開けることをどうするのか考えてました。


ひとりでだいじょうぶ?
そうかこれってひとりじゃだいじょうぶじゃないことなんだ。
みんなは、とってもとってもやさしかった。


お母さん
わたしは本当に素敵なひとにかこまれているよ。



それはね、藤沢あゆみだけのことではなく
母である、あなたが素敵なひとだからです。



家族はみんな全力で母を支えていました。
父も姉もあにも毎日お見舞いに行っていました。


入院して、わずか6日。
急変したのは、11日の夜。
ある意味、長く苦しまずに
母は息を引き取ったのです。





一粒万倍日で、天赦日
2016年で一番パワフルな日だったそうですね。


わたしは昨日
すごい頭痛と、首の痛みで
身動きできない感じでした。



やりたいことがいっぱいあるのに
いつもならやってるうちに元気になるのに。


母がお別れを
伝えに来たのかもしれませんね。



意識がなくなったとき
姉が病室から電話をくれたんですね。
息が荒くなった母の呼吸が聞こえてきました。


息が止まりそうになると
「息してへんで」
と、姉が母に声をかけます。


そして・・・
電話を切り・・・
数十分後
また、電話がなりました。


母が亡くなったばかりの病室。


「おばあちゃん、
よう、がんばったなぁ。
きれいやで」



母に声をかける姉。


顔が思い浮かぶようでした。
きっととても穏やかで
とてもとてもきれいだったんでしょう。


一気にこみ上げてきたとき。



「主治医の先生が来たから切るね」



最後まで凛として
家族やまわりのひとを気づかって。
2ヶ月前まで白髪を染めていました。


しもの世話をしてもらうことを
とても気にしていました。
オムツにする話をしていたところ・・・


とてもオシャレだった母は・・・
そんなのしたくなかったんだね。


やっぱり死にざまは
生きざまなんだと思う。



8月12日。
次の誕生日には
パジャマをあげようと思っていたよ。



きれいなひとでした。



ありがとうは、顔を見てから言います。



では、いってきますね。