問題と思うことこそ自分の味方。だけど道が開けたら手放そう! | 藤沢あゆみオフィシャルブログ Powered by Ameba

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作家。著書29冊。相談30000件超。ananによる信頼できるカウンセラー20人の1人。NHKEテレハートネットTV出演。2023年4月「バズる!ハマる!売れる!集まる!WEB文章術 プロの仕掛け66」発売9日で増刷、7月18日枚方蔦屋書店で101人講演会開催

藤沢あゆみです


フェイスブックで大ファンになった方がいます。
日本で初めてのパーソナルスタイリスト。
スタイリストをつけるのが、芸能人やセレブだけのものだった頃
普通のひとのスタイリングをするという事業を始めた。


ご本人もモデルのようにかっこいいビジュアル。
その道の一人者として、メディアでも大人気。
パワフルなフェイスブックの文章
ご自身のかっこいい写真にいつもチカラをもらいます。


そんな政近準子さんの、ある日の投稿。


「28歳で長男を産んで間もなく
当時まだ原因がほとんど解明されていない難病に
かかり、その治療と薬の副作用で

私の外見は、目も当てられない醜い姿になりました。

ケロイドの様に剥げ落ちる皮膚
メイクで隠せない腫れ上がった顏

ふさぎ込み なぜ自分がと泣きくれル日々。
死にたいほどの気持ちの中、生き切れたのは
紛れもなく主人の愛情であり、家族のお蔭です。
そして復活の日々を支えてくれたのが

「服装」でした。

外に出たくない
誰も自分を見てほしくない
じろじろと見られているように感じた心は
実は自分自身の心の問題でした。

ファッションという華やかな世界と仕事。。
なぜよりによって自分がこんな姿に、、と思う汚い心が、
人からも辛く当たられているように勝手に感じていたのです。

誰も本当は 私を可哀そうな目でなんか見ていなかった。
人のせいにしたかったのは自分の弱さ。

堂々とお洒落をして外に出たら
哀れんでいるのは自分自身、誰も私をじろじろなんて見なかった。
誰よりもつらかったのは
「かわってあげたい」と涙を流してくれた
主人だったし
へこむママの姿を心配して過ごした幼い息子だった。

家族の笑顔を取り戻そう、病に囚われる自分のエゴから
私は自分を振り切った。

難病を抱え、医学的には難しいとされた
二人目の娘を授かれたことも

とらわれない心になって自らを解放、自分より家族を思う事で
救われたからだと思います。

ファッションレスキューと社名を付けたのは
ファッションで人々を救うことが目的ではあったが
今はよくわかる。

救われたいと思っているうちは救われなどしない事を。

囚われない心で、素直に進むこと。
おてんとうさまに恥ずかしくなく生きること。
救われるとは、他人に何かを委ねるのではなく
自らの成長からしか、救われ等しないことを
私は自分の身体をもって知ったのだ。」




https://www.facebook.com/junkomasachika


こんなに素敵な政近さんにそんな過去が。
そしてそれこそが
社名「ファッションレスキュー」の由来になっているなんて。


確かに、自分を振り返っても
わたしが恋愛や人間関係のことを書いているのは


抗えないダメージを背負ったからで
だからこそ、瞬時に好感を持たれるコミュニケーションを
体得したし、おしゃれをするなんてことは当たり前だった。
おかげでコミュニケーションもおしゃれも大好きになった。


そうして・・・
わたしが政近さんのお話で一番衝撃を受けたのは



「外に出たくない
誰も自分を見てほしくない
じろじろと見られているように感じた心は
実は自分自身の心の問題でした。

ファッションという華やかな世界と仕事。。
なぜよりによって自分がこんな姿に、、と思う汚い心が、
人からも辛く当たられているように勝手に感じていたのです。

誰も本当は 私を可哀そうな目でなんか見ていなかった。
人のせいにしたかったのは自分の弱さ。」



わたしは、血管腫という持病を持って生まれ
10人中ひとがいたら、9人が振り返る
そんなダメージを持っていました。


かなり大人になるまで
子供は好きだけど
遠慮のない子供の視線というのが苦手で
他人の顔はいまも覚えられません。


でも・・・
実は・・・


それは、当時の自分が思うほど
悲惨なことだったのか



確かに、えってびっくりしますから
指をさしたひとが、いたのでしょう。


だけど、そのひとは
わたしが嫌いというより
ただびっくりしただけで


自分は、当時記憶しているほど
衆人環視にさらされていたのかといえば
まさに政近さんの書かれている通り
誰もわたしを哀れんでいなかった。



わたしも、両親も
わたしがどうしていじめられもしないで
幼稚園や学校でやっていけるのか
不思議に思っていました。


それをわたしは、最初からリスクヘッジをして
好かれる要素を増やしたからで


おとなになってからも恋愛の本を
こんなに書けたのだと思っていました。


そういう面はあったでしょう。


でも・・・わたしは結婚をしていません。
結婚したくないと思ったことはありません笑。


社会的に多くのひとが体験していることを
体験していないと親との関係と言われたりしますよね。


わたし親との関係で
なやんだことがないんです。



そして、気づきました。


わたし・・・
社会に愛されないと思ってたんです。



知らないひとに愛されるには
わたしは長所を増やさなきゃ
だって愛される要素が少ないから



それがわたしのスタートです。
そして・・・


遺伝とかは自分でなんとかなりませんから
遺伝したら相手に申し訳ないとか普通に思いました。
すると潜在意識が、結婚にストップをかけても
不思議ではありません。


これは卑下とかじゃなくて
普通って状態をあたえられなかったので
一般的なニーズにはどれくらい足りなくて
相手がどれくらい困るのかがわからない。


持ってる要素は恵まれていないのに(と思ってました
美意識は高かったので(自分で言いました
いろいろ工夫しました。
イケてないひとにならないように。


政近さんも書かれてますが
なぜおしゃれ好きなわたしがよりにもよってと思ったんです。
だから、いい要素を増やしました。
いまあるいい要素は大切にしました。


子供のとき、わたしは将来結婚できないかもしれないけど
ドキュメンタリー番組に出るような世に出るひとになれば
普通のひとと遜色ない人生を送れるだろうと思いました。



そうです。
変わった自分、と普通のひと、に分けていました。


思いの力はすごいです。
かなってるじゃないですか!



まだ情熱大陸にも出てなければ
シリーズ人間にも取材されてないですけど
ドキュメンタリーが好きすぎて
ひとりドキュメンタリーみたいなひとになりました笑。


で・・・あるとき思ったのですね。


はたして、それは問題だったのかと。


子供のとき、もうひとつ思っていたこと。
おばあちゃんになったら、みんななやみそうだけど
わたしは、最初からおしゃれをしていたから
おばあちゃんになっても人気者かも。



わたしは、みんながなやむような
年齢の問題とかでは、ほとんどなやみません。
自分だけが友だちと違うなやみに比べたら、ちょろいです。


みんな平等に年をとる。
友だちみんなが、おばあちゃんになっているのに
自分だけが二十歳でいたいなんて思いませんよね。


自分の設定ってすごいです、
みんな、かなっています。



セルフイメージなんて言葉も知らない頃から
あげるのが当たり前だったので
低いって拗ねてる間もなく上げてました。


相手の発するマイナスの念を受け取らない?
そんなの引き寄せとか知る前からやってました笑。


だからこれまでの人生や、よし。
自分が、問題だと思ってたことは
自分をここまで連れてきてくれた。
そんな、シーズン1を終え


問題だと思ったことを手放そう。
問題の役目は、もう終わった。
設定を変えよう。



わたしでいいかに、自分の持ってる条件は関係ない。
それは、各々縁があるひとが考えてくれればいいこと。


こんなわたしですけど、でもなく
こんなわたしだからこそ、でもない



第2シーズンは、本当の意味で自分の味方になり
ありのままの、わたしという人間に
わたしは、期待してみたいと思います。




人生は服、次第。/政近 準子

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何があっても自分の味方でいれば、あなたはこれまでで一番好きなひとに出会う/藤沢 あゆみ

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