昨日のブログにも載せましたが、この度、ザ・ヴェンチャーズの皆さん、現在のステージ・メンバー全員が、2010年春の叙勲受章者として、『旭日小綬章』にめでたくも選ばれました!!おめでとうございます!!
とゆうことで今日はザ・ヴェンチャーズのお話をします☆
もう日本のバンドと言ってもおかしくないくらい、私達にはとてもなじみの深いザ・ベンチャーズですよね。
なぜか日本の夏にテケテケは合いますよね。
それは、ダン・ウイルソンとボブ・ボーグルの二人が、ある日出会ってギターのデュエットを結成したことに始まっているんです。
煉瓦積みの仕事をしていたダンは、仕事を終えての帰り道、ひとりバス停でたたずんでいると、そこを通りかかった仕事仲間のボブが、『ダン、乗ってけよ!?』と声をかけてくれたのでした。その時車のバックシートに置かれたギターを見つけたダンは、たちまちボブと意気投合☆二人は仕事の合間にギターの練習を開始して・・・というのが、私達が60年代に耳にしたベンチャーズの成功の序章でした。
あれから40年以上が経過して、今ではこのあたりの詳しい説明が沢山の愛好者や研究者の方々によってインタヴューされ、さらに分析されていますよね。それらはなかなか興味深いものがありますし、活字となっているものも多々あるので、いろいろ集めてみると面白いですね。想像が膨らんで彼らの初期サウンドを聞くのがこれまで以上に楽しくなるはずです☆
実際にはダンとボブのその出会いとなった場所は、中古車ディーラーの店先だったようです。この店はダンの親戚が切り盛りしていて、ダンはそこで従業員として働いておりました。そこへやってきたお客のひとりがボブだったのです。ところがその時すでに二人は互いに相手をしっていたらしいです。 若者なら誰しも一度はショー・ビジネスの世界に憧れるでしょ☆ダンとボブも同様で、あちこちで開かれるタレントコンテストに単独で出演していたようですよ☆口を交わすことはなくても、いつの間にか顔を合わせるお馴染みさんとして互いに認識し合っていたとゆう事でしょうか?『あれ・・君は確か・・・?』『あっ、この間の・・・?』 まあ、こんな展開だったんでしょうねえ☆
そんなことで、お互いの目的やその音楽への理解も、話す前からすでに出来ていたんでしょうね。
車を買いに来たボブは、当時煉瓦工事の親方をやっていて、その仕事のほうが賃金も良いし、ギターの練習のためにも比較的時間もとりやすいというわけで、ダンはそっちへ転職してしまいます。これならいつでも二人一緒に練習できるし、もっと上手になるはずだ!というわけですね。
すぐにポーン・ショップでギターを手に入れ、橋梁工事や家屋の煉瓦工事の傍ら二人で始めた練習は、確かに狙いどうりその効果をたちまち現し、ホールでのレギュラーの仕事を持つまでになるのに、そんなに時間はかからなかったようですから、ダンとボブはやはり音楽の才能があったんでしょうね☆
そこへ息子のやっている音楽を知り、その成功を確信したダンのお母さんは、レコード会社に積極的に売り込みを図ります。でも素人の悲しさ、全く駄目だったようです。
でもその努力は無駄とはなりませんでした!彼女にレコードビジネスの何たるかを学ばせたのでしょう。
自らレーベルを起こし、ディスクを造って、メディアに息子のサウンドを載せるべく動き出すのです。母は強しですね☆『ブルー・ホライズン』というレーベルでした。大ヒットとなる『ウォーク・ドント・ラン』は、このレーベルでの2枚目のはずです。これがメジャー・レーベル『リバティ』傘下の『ドルトン』にピックアップされて大ヒットとなっちゃうんです!!
ニュース番組のテーマに使用されたとか、力のあるDJが彼らのサウンドを気に入ってくれて放送でプッシュしてくれたとか、このあたりのエピソードはいろいろあるようです。
これが『ヴェンチャーズ、メジャーに行く!!』のはじまりでした☆
一枚のディスクを創ったことがメジャーデビューへとつながり、そして・・・といった成功譚はアメリカではよくある話らしく、セミーの起こしたレコード会社からデビューしたカントリー・アイドルのバーバラ・マンデレルも、そういった大成功者のひとりなのでしょう☆
こういったプライベートのマイナーからメジャーへの成功譚は、今でも私たちはその実態はほとんど理解していないといえるかもしれませんね。
ちなみに日本で有名なのは、自費製作版の中の一曲が、深夜放送から爆発して日本を座捲したケロケロ・ヴォイス『帰ってきたヨッパライ』のザ・フォーク・クルセダーズくらいではないでしょうか??
あれは日本のレコード界に新たな道を開いた画期的な出来事だったんですね。
今日はこの辺までで・・・
次回は1964年のお話をします☆
お楽しみに~(‐^▽^‐)