最近のワーホリ事情 | ととちの優雅な暇つぶし

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家無し、職無し、子無し、相方無しの4Nアラ還女史の徒然旅日記。

時々シドニー、時々日本、時々世界各地をトトロと旅しての、大したことない毎日を綴ってます。


最近こんな記事を見た。



ワーキングホリデー



読んでると中々大変な世界だびっくり


私の時代とは随分と違ってる。


1987年のオーストラリア🇦🇺は全てが安かった。


時給も安かったけど。物価も安かった。


レストランで贅沢しても20ドル、2000円ぐらいだったし、コーヒーなんかも100円で買えた。

買い物かご🧺にいっぱい買っても20ドルでお釣りがきた。


その分時給も500円以下だったと思う。


多分平均年収は日本の半分ぐらい。今は倍ぐらいになってるけどガーン


何もかもが安かった。


丁度日本人の人気旅行先がオーストラリアだった時。

確か郷ひろみさんと二谷友里恵さんが、結婚式を挙げにシドニーにやって来たのが1987年の6月。


丁度観光ガイドの需要も高まった時。新婚旅行の人も沢山来た。


今とは違い旅行もパック旅行が主流で、日本人相手のインバウンドが活気づき始めた頃だ。


今とは違い仕事はいっぱいあったニヤリ

日本食レストランのウエイトレス、観光ガイド。


特に観光ガイドはお給料も良かったので人気の職種だった。

今は旅行の形態も変わったから、ガイドさんの求人も減少していると思う。


記事にはキャバ嬢と書いてあるが、昔は英語を喋れない日本女性が働ける夜の世界はなかったのではないか?

それとも田舎者の私が全然気がつかなかったか。

若いだけでもっさりとしてた私には、お声もかからなかった気がする笑い泣き


それは良いことだったんだろーか!?爆笑


兎に角所持金が少なかった私は、幾つかの面接を受けてガイドの職を得ることができた。記事の女性みたいに30件とかの応募ではなく2、3件で済んだ記憶がある。


めでたしめでたし、のはずがただ一つ問題が驚き


ガイドになる為には1ヶ月ぐらいの研修期間があって、その間はお給料が出ないこと。


そして仕事が始まってもお給料は直ぐには貰えない。

多分1ヶ月以上遅れてからだったネガティブ


なので働いてはいてもお金は入って来ない。

その上交通費は自腹(オーストラリアでは交通費は経費とならないので、会社が補填してくれる事はあんまりない)


そう段々とお金がなくなってきた絶望

週払いの家賃が払えないほどに。。。。


続く。


年寄りって今日のお昼に何食べたか忘れてるのに、昔の事は良く覚えていて話したがるびっくり

私も母の昔話を何度も聞かされてうんざりしたけど、この記事を読んでいたら、昔の話を結構覚えてる事に気がついた爆笑 私も立派なオバであるチュー


折角だから聞いて欲しいラブラブ