(イメージ用 サンプル画像 こんなかんじ)

もちろん歩くためのコツがあり、ちゃんとレクチャーを受けた後で全員気合をいれて歩き出す。

コツとはいくつかある。

まずひとつめは、歩くとき、「ひえぐさ」つまり冷えた草とぶつぶつ唱えながら歩けという。

なんと強引な。

熱い石灰の上をあるくのに、ひえ草とは。。。

そして、「ひえ草ひえ草・・・」と上を向いて5メートルを歩く。
下を向くと赤々とした石炭が燃えているからだ。視覚はますます恐怖をあおるため、上を向けというのだ。そして言葉で念じながら、「これは冷えた草だ。熱くない!」と自分でいいきかせる。

そんな子供だましみたいな・・・と思うがこれでちゃんと300人5メートル火渡りを達成できるのだからスゴイ。

この火渡りの授業は、日も暮れて辺りが暗くなった頃に始まる。

たいまつがいたるところにたかれ、ホテルのプールサイドで何レーンかの5メートルの火のルートがしかれ、和太鼓までなっている。

なんともいえないおごそかな雰囲気だ。

ホテルの部屋からは、和太鼓が絶え間鳴り響くので何事かと一般の宿泊客が窓から心配そうに眺めている。かなりいい迷惑だ。
まさかこれから火渡りをするなんて思いもしないだろう。

これ、一番最初にする人はすごい緊張するだろうなとおもっていたら意外と自分の番もすぐにまわってきた。

自分の番がまわってくるまでは、掛け声でみんなをこれでもかというくらい応援する。もちろん終わったあとも、後から来る人を応援する。感動の余り、歩き終わった後泣く人もいる。

私も、緊張がほぐれ、終わった後は、ほっとしたのか涙がちょっぴり出てきて、全身が震えていた。

ヒロシより先に歩いた私はヒロシが終わるのをゴールで、「ヒロシがんばれ!」と思いながら誰よりも応援してヒロシがわたり終えるのを待ち構えていた。
いよいよヒロシの番だ。

セミナー2日目には、うわさの火渡りがあるという。

この火渡りがくせもので、セミナー参加前より私をおびえさせていた。

そもそも、火渡りとはなにかというと熱した石炭を敷き詰めたその上を裸足で歩くという行為である。もっとも古い火渡りの記録は、4000年以上前のインドで行われたものである。放浪のバラモンと在所のバラモンとが、燃える石炭の上をどちらが遠くまで歩いていけるかの勝負を行い、放浪のバラモンが勝利したことが記録として今日まで残っている。

皆さんも、テレビなどで儀式としていろんな場面で実施されているのをご覧になったことがあると思う。
例えば、浄化、治療、通過儀礼、自己超越のための儀式としてだったり、日本の修験道や仏教の修行の一環として、または今回のようにアメリカの経営セミナーや自己開発のセミナーにおいてなど。
ここでの火渡りは、800度ほどの熱さで、5メートルに敷き詰められた上を歩くというもの。5メートルなんて短いと思うが、この熱さでの5メートルは、とても長く感じる。

まず、そんな石灰の上なんて靴を履いていても、恐ろしくて歩きたくない。

どうやるかというと、やり方はシンプルで、まっすぐに伸びた5メートルの石灰の上を順番に300人全員が、裸足になって一人一人歩いていく。ストッキングはもちろん脱がなければ大変危険なことはお気づきであろう。

話を聞くと恐ろしくてできるわけ無いと思うが、ちゃんと歩き方をセミナーで教わって、十分に注意して歩けば、やけどはしないし、完歩できるらしい。でも、かなり熱いのは事実で、たまに軽くやけどをする人もいるが。

300人もいればそのうち何人かはできないだろう。そんな風に考えていた。


こうしてうまれてはじめての火渡りの授業がはじまるのであった。

はたしてヒロシとまどかは火の上を完歩することができるのか!?乞うご期待。


セミナーの中にはこんな授業がある。

板を割る授業だ。

板は7センチくらいのぶ厚さで幅20センチの奇麗な板だ。どうみても、のこぎりできらなければ切れないような板だ。これを自分の素手で、空手の要領で割るという授業だ。

なんでそもそも板を割るのか?



その板には自分の克服したいことや悩みをマジックで書く。そしてスタッフの人がドラゴンボールの「カメハメハ!」のようなポーズをしながら板を持っていてくれるそこへ、真正面から片手の手のひらで押すように突っ込んで行けという。

手入れされたフレンチネイルが折れそうで怖い。


私はそのときどうしても解決したい自分自身つらいつらい悩みがあった。頭ではわかっているのに、どうしても克服できない。そのことをついに板に書いた。人に見られるのはとっても嫌だったが、300人もいるのだ。みんなそれぞれ悩みはある。恥ずかしくたっていいわ。

太い油性のマジックで書かれた私の悩みは、数分後には自分の手でぶち割るのだ。

握力さえほとんどない私が、どうやってこの板をわることができよう。

ところがおもしろいことに、簡単に割れたのだ。

別に板に細工がされている訳ではなく、ちゃんとコツをつかめば割れるのだ。

なんだか不思議でたまらないが、このセミナーはそういうものだと思い、悩みをかいた板が割れたことに素直に喜んだ。

自分で割らなきゃいけないのだ。人に割ってもらっては意味がない。
自分の悩みは、自分で克服しなくてはいけないんだ。
でもちゃんと自分で割れることができるんだ。

こんなことを以前聞いたことがある。

どんなにつらい試練がこようとも、自分がちゃんと乗り越えられる試練しかその人の人生にはやってこないようになってるのだ。

それを思い出した私は、なんだか前がぱっと明るくなった気がした。