昼休憩のチャイムが鳴るが、弁当を食べる気がしなかった、机で頭を抱え込んでいると誰かに肩を叩かれた。
「ちょっといいか」
担任の先生だった。もううんざりだ、
家に帰りたい。
担任と図書室に入ると生徒指導の先生の下駄屋が待っていた。腕を組み、
入ってきたばかりの僕を睨む。
「ちょっとここへ座らんか」
机を挟み下駄屋の正面に座る、僕の隣に担任が座った。
図書室は紙の匂いでいっぱいだった、
目の前にいる大人の口は、またわけのわからないことを僕にぶつける。
隣の大人は僕の目を穴のあくほど覗き込む。もうなんか疲れた、怒りはどこかへ消え、僕は虚無感で満ちていた。
椅子の座り心地が悪い、今更お腹が鳴る。図書室の明かりはついていないが、太陽光が室内を照らして明るかった。窓辺に雀が二羽とまる、小刻みな動きをしながら、またすぐどこかへ飛んで行く。
ようやく静かになった、あれ?なんでここに僕はいるんだろう、ふと目の前の大人の顔をみる。
「お前聞いてんのか!ぼーっとしやがって!」
机を激しく叩く、その音に驚き僕はたじろいだ。
「穏やかじゃないですね、そんなの罵声を浴びせなくてもいいでしょう」
三人は声のするほうへ向く、奥の本棚から杉村が現れた、なぜこんなとこにいるのだろう。
「これは杉村先生、なぜこんなところにいるんですか?」
「えぇ、テストの問題作りの資料を探してたんですよ、するとそこで話し声が聞こえ始めまして、どうしたんですか二人がかりで生徒を責めるなんて」
すると下駄屋が一連の説明を話し始めた、例の悪戯は僕の仕業で証拠もあり間違いないとまで言い出した、そしてそれを今追求しているところであると言い、再び僕に視線を向ける。
僕はまた厄介なのが来たと、小さく溜め息をつき俯く。長丁場になるだろう、耐えられるだろうか、今すぐここからいなくなりたい。
杉村は下駄屋の話を聞いてるときもずっと僕だけ見ていた。
「はっきり申し上げておきます、彼は今回の騒ぎの犯人ではないでしょう」
聞き間違いかと思って僕は顔をあげる、担任と下駄屋が顔を見合わせた、
言葉は発しないが、お互い鳩が豆鉄砲を喰らったかのような顔をしている。
「いや、ちょっと、杉村先生、どういう事ですか?」
「まず申し上げたいのが、そのような曖昧な情報で彼を犯人と決めつけるなんてあまりのバカバカしさに私は呆れましたよ」
ふたりの顔が曇る。
「杉村先生、バカバカしいだなんてまた酷いじゃありませんか」
下駄屋の顔は笑っているが、こめかみに青筋が浮いていた、目なんてまったく笑ってなどいなかった。貧乏ゆすりが机の振動を伝って僕の腕まで伝わる、下駄屋の顔は今にも爆発しそうで緊張が走る、喉の奥が苦しい。
「酷い?非道なのはあなた方ですよ?お教えしましょうか、彼の左手をよくご覧になって下さい」
「左手?」
「ほぅ」
杉村を見ていた下駄屋が僕に視線を移すと、乱暴に僕の左手を掴んだ、そして右手も目をかっぴらき、じっくり見る。まるで手相屋だ、と僕は笑いを堪えるのを必死に我慢する。
しかしなぜ手なのだろう。
「綺麗な手をしてるでしょう」
「それがどうしたと言うんだ!」
「そう声を荒げないで下さい、おわかりになりませんか?」
眼鏡の奥から二人の先生を交互に見る、杉村は口の端をつり上げ、いたって余裕そうな表情だ。担任と下駄屋は何がなんだかわからず困惑している、
僕自身も『左手が綺麗だからどうした?』と、言いたいのを我慢している、すると杉村が口を開いた。
「あの犯人は左利きとおっしゃいましたよね?そこで今回の悪戯には木を削って人形の置物のような物が数個ありました覚えてます?」
「あの、だからどうしたんですか杉村先生?それが何か?」
ここで初めて杉村が歯を見せて笑みを浮かべる。
「あの人型の置物を私は手にとり観察しました、あれは小刀のようなもので作られている、全ての置物の表面の乾燥状態も調べた結果、差がなく恐らく全て一日程で作り上げたものです」
僕達は話しの続きを待った。
「彼の手、血豆一つなく皮を擦りむいた痕すらない、小刀を使うとき柄の部分が必ず手のどこかに当たります、あれだけ加工した沢山の置物を作れば手の平が豆だらけでしょう、どうです?
もう一度彼の手をご覧になっては?」
「軍手を使ったとか電動ヤスリを使ったかもしれないじゃないか!」
「そうそう、言い忘れてました、私の古い友人の工芸品職人にもあれを見てもらいましたよ、ミリ単位で木を加工するスペシャリストです、どんなもので木を加工したかなんて一目でわかるそうですよ、彼の意見を大いに参考させてもらったうえの結論です、どうでしょう?よかったら彼をお連れしましょうか?」
下駄屋は苦虫を噛んだような顔をして机の上の拳を握り締め、視線を床に落とす。
「ちょっと、私教頭に相談してまいります」
担任はそう言い残し、小動物のように素早く図書室から出て行った、下駄屋はまだ唸りながら下を向く。
なんて事だ、信じられない、起死回生じゃないか、僕は下を向くふりをして机の下でガッツポーズをとった、口角が上がりそうなのを必死で堪えた。
『ざまあみろ!畜生!』心の中で何度も何度も叫んだ。
下駄屋は静かに立ち上がり、図書室の扉へ向かう、図書室を出る時、僕に鋭い視線を残し、力強く扉を閉めた。
「ただ一つだけおかしな点があるんだがね」
杉村は僕の側へ二、三歩近付く。
「これまで全部で五回ほどくだらない悪戯が行われた、そしてわかっているのが犯人はこれらを一人でやってのけたと言うこと、そして引っかかるのが」
杉村は眼鏡の奥から僕の目を覗く。
「四回目の悪戯だけ別の人間が関与した可能性がある、あとは同一人物だ」
口から内蔵が出そうだ、胸が締め付けられる、なぜそこまでわかったのだろう、ほぼ読み通りだ、でも絶対表情に出してはいけない、ばれたか、いや平常を装ってるはずだ。
「、、お前、四回目、やったのか?」
歯をきつく噛み合わせる、杉村に見えない位置で拳を握り締める、誰かが僕の背中に氷を入れたような気がした。
「随分表情が硬いな?やっぱりそうか?まぁ先生はもうわかってるぞ」
嘘だ!騙されるな!しらを切通せ!
「何のことだか」
杉村はしばらく何か考え込み鼻で笑う。
「お前みたいな面白い奴は初めてだよ」
担任が図書室に戻り何事もなかったかのように僕に授業に戻れと命じた。
自分の席になだれ込むように座る、机の張り付き最後に言った杉村の言葉を思い出す。
僕もあんな面白い先生は初めてだと思った。
今日はその後の授業はまるで頭に入らなかった。
「どうしたの?眠いの?」
「あ、いや別に」
山の木の葉がいくつか朱色に染まる寺の階段で俯いていると彼女がやってきた。
「最近元気ないね」
「まあね」
彼女は薄目で上を見上げる、木の枝を見てるのかその先の空を見てるのかはわからない。ふと彼女の手に視線を落とした。
「ど、どうしたの?そんな怖い顔して?」
「その手、どうしたの?」
「あぁ、これね、ちょっと怪我しちゃったんだ」
「へー、なんで?」
「なんでそんな事聞くの?」
「知りたいからだよ」
「それだけでそんな怖い顔してるの?」
まさか、と思った、彼女が犯人なはずはない、でも犯人ではない理由も見当たらない。
ふと前感じた違和感を思い出した。
「君、煙草持ってる?」
「あるよ、忘れたの?」
「まあね、これ、お菓子あげるから一本くれない?」
「いいわよそんなの、はい」
煙草を受けとった瞬間、手が震えた、
アングリ作戦が終了して立ち寄った墓地に落ちてた煙草の銘柄と全く同じだった。
彼女の癖で煙草を揉み消すとき爪痕を付ける、墓地の吸い殻のフィルターには確かに爪痕があった、そして今吸い終わった彼女のたばこにも。
「そうそう、前に消防署の隣のホームセンターで君を見かけたよ」
彼女は動揺を露骨に顔に出した、勿論ホームセンターで見かけたなんて嘘だった。
続けてもう一つ聞く。
「学校の裏門出てすぐの山に墓地があるよね?あそこで前何してたの?」
「見たの?」
「宿題のノート持って帰るの忘れてさ、早く登校して朝に宿題済ませようと思ってね」
「裏門を通って来たの?なんで?」
「裏門を通ったなんて言ってないよ」
「じゃあなんで見えたの?私があそこにいたって事」
「やっぱりいたんだ」
「え?見たんでしょ?」
こんな慌てふためいた彼女を見るのは初めてだった。やっぱり彼女はいた、
そしてアートを披露した犯人は彼女だ、僕を犯人に仕立て上げようと細工したのも彼女だ、僕を苦しめて今まで影で笑ってたに違いない、トイレのトラップのOUTの文字を思い出す、頭から血の気が引いていくのがわかった。
『裏門で見かけた訳は、、』嘘の話しをしながら左手で鞄の中を探った、マイナスドライバーがあったはずだ、驚くほど冷静な頭は彼女をドライバーで突き刺す妄想をどんどん膨らませる。
落ち着きながらも微かに震える手はドライバーを掴んだ、彼女を見る。
長い黒髪から覗く柔らかそうな白い首筋にドライバーを突き刺す自分を想像する、やるしかない、罰だ、僕の苦しみを思い知らせてやる。
今度は彼女が苦しむ番だ。
ふと彼女の手を見る、絆創膏が貼ってあるのは右手だ、僕を犯人に仕立て上げようと左利き用の小刀やハサミを現場に置いていったのだろう。
ふと幼い記憶が蘇る、小学生になったばかりかそれより前の頃だろうか、折り紙をハサミで切るとき全く切れず、
他のハサミを借りても結果は同じだった、先生になぜかと聞くとあなたは左利き、このハサミは右利き用、そしてここには左利き用はなく、お店にいってもなかなか売ってないの、だからしょうがないの。と言われた。
そしてこの時こう思った、世の中狂ってると。
彼女は気分が悪いから帰ると言い、自転車に手をかけた、僕はすぐに後ろ向きの彼女の元へ駆け寄る。
今日は寝付きが悪い、何回寝返りしただろう、時計は見たくない、時間を知れば寝る時間が少ないという事実を知ってしまうからだ。
暗い部屋で天井を見つめる、もう二度と彼女は学校でアートを飾ることはないだろう。僕は今日の事は忘れない。
彼女の帰り際、僕は駆け寄り『また明日ね』と言った。
彼女は驚いた、当然だろう、僕は彼女にそんな事今まで一度も言った事ないからだ。
「うん、明日ね」
薄暗くなり始めた寺へ続く道を、彼女は自転車を押して行く。
前に彼女がスパイスが必要だと言っていたのを思い出した、彼女は僕のために右手を駆使してくれたのだろう『また明日ね』の言葉にありがとうの気持ちを込めて彼女に伝えた。
墓地で感じた言い表せない感覚をさっき思い出した、幼い頃のワクワク感の類だとわかった。
世の中少し狂ってるほうが生きるのが楽しいと彼女は教えてくれた。