一年の始まりの今日も、相変わらずいつもと変わりなく、同じ時間の中で過ごしている。


少し違うのは、頼まれていたパンを5時から捏ねているくらい。


年末と言っても大掃除するわけでなく、お節を作るわけでなく、クイックルワイパーでフローリングを拭いて掃除機をかけ、ぜんざいが食べたかったので作って、これも頼まれていたシフォンケーキを焼いて、自分用と友の分の林檎ジャムを作っただけの大晦日。


買い物に行ったのに買い忘れがあり、再び買い物に行き、を3度繰り返す自分にイライラしたくらい。笑


せめて年越しそばくらい食べようと、少し足を延ばして訪れたお店。






絶品!




昨夜から富士山の初日の出を観に行った知人から、初日の出とは全く関係のない同じ写真が二度送られて来て、初日の出は?と返すも既読スルー、なんで?笑


近年は賀状ではなくLINEで新年の挨拶が多くて、それを返しながら、チョコレートを食べて紅茶を飲んで、アイスクリームも食べて、ひたすらにダラダラを繰り広げる元日の朝。


太りそう!


なのに、お昼は何を食べよう?と考える始末。


神仏へは、これもいつも願う息子の健康、幼い時は体が弱くただただ健康になります様に、とそれのみを願った。


息子が産まれる前、ある人が私に問いた。


どんな子が産まれて来て欲しい?


どんな子?咄嗟に答えが出ずにいる私にその人は、頭の良い子、かけっこの早い子、綺麗な顔をしている子、背の高い子、優しい子、望みはたくさんあるけれど五体満足、健康以上の望みなんてただの親の欲や!と言った言葉は、病弱な息子が産まれ心に沁みた。


その言葉を今朝も思い出した、もう30年以上も前の話しだが、今も鮮明に耳に心に残っている。


記憶に残る言葉は花びらのように、こうして頭上に降り注いで来る。


今年はどんな年になるのか、息子にとって新しい何かが彼の生きる糧となるきっかけになって欲しい。






どこかで

あたらしい山がむっくり

起きあがったような


どこかで

あたらしい川がひとすじ

流れだしたような


どこかで

あたらしい窓がひらかれ

千羽の鳩が放されたような


どこかで

あたらしい愛がわたしに向かって

歩きはじめたような


どこかで

あたらしい歌がうたわれようとして

世界の口びるから「あ」と洩れかかったような






あなたの新しい何かが見つかる一年となります様に。


どこかで新しい何かが光輝く一年であります様に。